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⑤誰が「南京大虐殺」をねつ造したか。蒋介石の情報工作にのせられたルーズベルト

2014-06-16 11:09:23 | 日記

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 ⑤です。古荘光一著 【誰が「南京大虐殺」をねつ造したか】

(285ページよりの引用です。ここから↓)

しかし、支那民衆は宣教師を憎悪していた。

それが最高潮に達したのが1900年の義和団の乱であり、そのあとでは、

1926年から1927年の前半にかけても反宣教師暴動が相次いだ。

これは、国民党の軍事指導権を握った蒋介石(しょうかいせき)が

北京政府の打倒を目的に、いわゆる北伐軍をひきいて

南部の広州を出発してから揚子江(長江)沿岸に到達するまでの期間である。

各地の民衆に襲われて、多数の宣教師が支那からの脱出を余議なくされた。

ところが、この間、蒋介石(しょうかいせき)が反共クーデターを実行し、

しかもキリスト教への改宗の意向を示したことから

居残ったり、戻ってきたりした宣教師の間に

蒋介石は民主主義の擁護者(ようごしゃ)であるとの声があがった。

なかには、「蒋介石がすすめている革命はわが国の独立戦争にも匹敵する」というものまであらわれ、

所属する上部団体に手紙を書き、アメリカ国内の新聞、講演旅行、集会などを通じて支那の権利を訴えた。

さらに、200万人の会員をようする宣教師派遣団体がアメリカ政府に請願書を提出するまでになった。

以後、「蒋介石は民主主義者」とするアメリカ人の固定観念が支那事変、日米戦争、戦後を通じ、長年にわたって持続する。

これ以外にも、個人的理由から蒋介石にすり寄った宣教師がいた。その典型が前記のフィッチ夫妻である。

「屑鉄輸出禁止」キャンペーンと「南京大虐殺」のでっちあげと流布に大車輪の働きをした。

「南京大虐殺」の流布について、日本では新聞、雑誌、ルポライターの働きによると見る人が多いが、

実際はアメリカ国内で発行されていた各宗派の機関紙類が先行していた。

「クリスチャン・アドブォケート」

「ミッショナリー・レビュー・オブ・ザ・ワールド」などである。

蒋介石があやつった、もう一つの職業人はアメリカ人のジャーナリストである。

特派員では「ニューヨーク・タイムズ」のティルマン・ダーディン、

「シカゴ・デイリー・ニューズ」のアーティボルト・スティールらがおり、地元で週刊誌をだしていた、ジョン・パウエル。

アメリカで写真週刊誌「ライフ」を経営していたヘンリー・ルースも蒋介石の手先だ。

これらの人物は、真相の追究に興味を見せなかった。

無辜(むこ)の庶民が飢えや病気、匪賊(ひぞく)の蛮行で大量に死んでゆく支那社会の現実や官僚の腐敗、

蒋介石一派の悪行に目をつむり

蒋介石が自由と民主主義のために日本と戦っていると書き

でっちあげの「南京大虐殺」を報道した。

蒋介石のプロパガンダ(情報操作)に乗せられた人物のうち

最も高い地位にいたのはアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトだ。

(⑥へと続きます)

※無辜(むこ)の意味→罪がないこと

※匪賊(ひぞく)の意味→集団で出没し、強奪(ごうだつ)殺人・などを犯す盗賊(とうぞく)

 

 

 


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