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2012年月刊「WILL」2月号より
【誰が「南京大虐殺」をねつ造したか】 古荘光一著
(284ページよりの引用です。(ここから↓))
《相次ぐ反宣教師暴動》
それに、支那人は外国人をたらしこむ独特の技法を持っている。
その点で天才的な能力を発揮したのは支那の”国父”とされる孫文(逸仙)である。
革命のためと称して、日本人やアメリカ人、東南アジアに住む華僑らをだまして巨額の資金を巻き上げ、ことごとく浪費した。
その孫文の衣鉢(いはつ)をつぐと自称した蒋介石(しょうかいせき)もウソの巨匠だ。
蒋介石がだました最大の集団は支那人とアメリカ人日本人であるが、最初にたらしこんだ欧米系の外国人は、孫文が支那に招いたロシア人である。
アメリカ人のプロテスタント派の宣教師がこれに次いだ。
アメリカは19世紀末から支那の門戸開放を謳って(うたって)きたが、実際に進出したのは、奥地のすみずみまで入り込んだスタンダード石油を除くと、一般企業は少なく、おもな勢力は宣教師であった。
ここに、支那史の特殊性がある。かれらは超低賃金で雇った現地人召使いにかしずかれ、高いレンガ塀に囲まれた”コンパウンド”での優雅な生活を守るためアメリカ国内を「4億の民がまもなくキリスト教徒になる」と絶えず宣伝して回った。
アメリカ国内の無数の信者は、支那人は愛すべき民族であるとのイメージを植え付けられてきた。言外に、支那人は白人に比べて劣る人種であるというのと大差なく、信者たちの優越性を満足させた。
特筆すべき点は、宣教師がアメリカ外交に干渉したことだ。
1920年代なかば頃、支那におけるプロテスタントの宣教師の勢力はカトリックの1、5倍、約8000人が、全土にはりめぐらせた1140か所の拠点で活動していた。
その背後にいたのは、アメリカ本国にある様々な宣教師派遣団体、YMCA、それに、支那に対象をしぼったキリスト教系の慈善団体である。
これらの団体は、傘下の教会に通う無数の信者の選挙民を擁していたから、
政治家は宣教師団体の意向を無視できなかった。
このために、アメリカの対支那外交はバランスを失した。
( ⑤へと続きます。)