長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

英語の社内公用語化

2010-08-10 08:15:34 | Weblog
楽天が、英語を社内公用語にしたようだ。
私は、決してそれに反対するものではない。
韓国などを見ても、どんどんと外国へ進出しているのに、日本では企業ばかりか、学生までも、あまり外国へ行きたがらないと聞くと、これはきっと英語が話せないからだと思ってしまう。
楽天は、まだ比較的新しい会社で、若い人が多いから出来たのだろう。
英語を公用化すると、日本語もまともに話せないのに・・・という話が必ず出てくる。
確かに、最近の若者はまともな日本語を話せないものが多い。
また、日常会話程度は日本語できちんと話せても、ディベートとなると、まったく出来ないという人も多い。
どちらも、小学校からの教育の問題であり、単なる知識の詰め込み、偏差値重視の教育の結果だと思う。
ある時期、ある程度の詰め込みは必要だけれど、それ以上については、もっと個性を尊重し、長所を伸ばすような教育が必要に思われる。
これらを考えると、どの会社も英語を公用語にするという必要はなく、むしろ害があることになるかもしれない。
そのため、英語を社内公用語にすることは賛成だけれど、かなり限られた企業の範囲内に留めるべきだと思う。

改正法による臓器移植

2010-08-10 08:02:16 | Weblog
改正臓器移植法のもとで初の移植が行われようとしている。
私は、実際に自分の子供がそのような立場になっていないので、客観的なことしかいえない。
ただ、今回の法改正は、日本人の臓器を欲しがる患者が多く、外国にまで行って臓器移植をするので、これではまずかろうということで法改正が行われたのではないだろうか。
なぜ、そんなに移植を希望する人が多くなったのであろうか。
外国で、臓器移植が多く行われるから、日本人もというところではないだろうか。
いくら法改正をしても、それに伴い新たな問題が起きるだけである。
例えば、自分の最愛の子供が死んであまり時間がたっていないのに、臓器提供を決断しなければならない親の立場も大変である。
しかも、その臓器を受ける患者はどういう人かもちろん分からない。
無茶苦茶な生活をして、腎臓を壊した人かもしれない。
果たして、そんな人まで救う必要があるかという問題もある。
法律によって、この場合に限りということで、死を定義するということもおかしな話である。
いずれにしても、臓器移植は、日本人の宗教観になじまないものであり、根本的なところから議論する必要があると思う。