昨夜からの雨は午後まで続き15時頃から霧のようになり、17時頃にはようやく
やみました。 久々に長かったですね。
さて、タイトルのスタンプラリー。
その昔、お寺参りゆ宗教など興味がなく、ただ四季の景色や庭園を観光気分で
周ることだけが好きだった若い女性が「スタンプラリーみたいだね」と言った
御朱印帳のことです。
4月に京都府立京都文化博物館の【戦国時代展】に行ったとき、『ろうじてんぽ』の
紙の小さな博物館「楽紙舘」で無地の集印帳を買っていました。
西国三十三カ所の集印帳はかなり以前に第一番・那智山 青岸渡寺に行った記念に
納経帳を買い求め、一番の御朱印を頂きました。
このところの門戸厄神(東光寺)さんで右の御朱印帳の1ページに朱印を頂きました。
門戸厄神さんには、大きく分けて西国薬師の御朱印と厄神明王の御朱印があり、
どちらにするか尋ねられて 厄神明王の方を頂きました。
複数の朱印の印影を集めることを集印(しゅういん)といい、朱印を押印し集印する
ための専用の帳面を朱印帳(しゅいんちょう)、御朱印帳(ごしゅいんちょう)、
納経帳(のうきょうちょう)、集印帳(しゅういんちょう)と呼び、すべて同じ物の
呼び名です。
スタンプラリーと違うのは自分で押したり誰でも良いわけではなくて、寺社の職員や僧侶、神職、氏子などが押印し寺社名や参拝日などが書かれるものです・。
ちなみに先日の奈良県葛城市の三寺もいただいていました。
左が石光寺で、右が當麻寺の奥之院です。
元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったとする説が諸説の中では一番正しそ
うで本来の意味はこれだと思います。
最近ではそのお寺に参詣したという記念の証拠みたいにする場合が多く、お寺の
方も「納経帳」などと堅いことは言わないで授けてくださいます。
これが昨日までの三日間かけた日記の善峰寺。
この西国三十三カ所や四国八十八カ所は巡礼の為の御朱印と一般の朱印帳とは
朱印も文字も別のことが多く、種類も3~6ぐらいあって、ご本尊とか秘仏で
あったりと集める楽しみのようなものもあります。
他に巻物の掛け軸様式になっているものや、お遍路の白衣にお願いする方も居ます。
葬儀の際に自分が集めたものを棺に入れてもらって、旅立ちの明かりとされる場合
もあって、亡父もその一人でした。
西国も四国も何回も周って納経帳も自分の旅立ち分と息子(僕)・娘(妹)と
その家族に各一冊、掛け軸もちゃんと表装を施したものが5本は残して逝きました。
こちらが亀岡の穴太寺です。
西国三十三カ所は皇族の花山法皇由来のお寺で、四国八十八カ所は弘法大師由来の
観音霊場で、種類・意図が違っています。
各お寺での御朱印はだいたいが300円で授けていただけます。
それだけのところもありますが、他に65mmぐらいの散華(下の3枚)や
梵字本尊のお札を西国三十三カ所ではいただけて、花の寺などは絵葉書を1枚
付けてくださることもあります。
四国八十八カ所はお札を授けてくださいますが、巡礼の回数によって一色刷りや
銅の札(10回以上?だったっけ)、銀の札 (50回以上?)、金の札(100回以上?)なんて気の遠くなるものもあります。
はい、亡父は金の札を棺に入れました。
法華宗、日蓮宗のお寺でも朱印はありますが、他の宗派の御朱印がある御朱印帳を
差し出すと、省略した感じだったり拒否されるお寺もあります。
また、浄土真宗の特に大谷派(東本願寺)りお寺ではそもそも拝観者に対しての
御朱印という考え方がありません。
根本はその1回限りで教えを悟ったようなものではないという考え方なのです。
そんな四角四面のことを言わずにいつ参ったかの記録として朱印という形での
奉納の仕方もあるのではないかと思います。
近頃は花の寺、薬師の寺、七福神めぐりなどと様々な形での朱印が増えて、1時期は
ブームになったこともありました。
どんな形でも良いことではないかと思います。