日展に出品されている方なら先刻ご存知と思われますが。
そもそも日展に「書」の部門ができたのは昭和23年、豊道春海の20数年に亘る奮闘があればこそです。
「書」は日展から冷たい目で見られ、それを絵画など同等の扱いになるまで何度も諦めずついに「書」部門が出来たわけです。
更にGHQ(連合国最高司令官総司令部)にかけあい、小学校の毛筆習字科を復活させ、日本書道連盟の会長に
時の総理大臣・吉田茂を会長に据えました。
その政治力・行動力などには毀誉褒貶もあるようですが現在の日展「書」は春海抜きには語れません。
ちょっとスケールが違いますね。まさに行動派!
(写真引用*芸術新聞社)
その後、昭和33年に「書」の中に「篆刻」部門ができたという歴史があります。
今の時代に至るまで紆余曲折があったんですね。
(Aさん)日展が名古屋でも始まりましたね。
(Bさん)始まりましたね。特に日展会幹部の方は前回よりも創意とか工夫とか
自分らしさ、格好よさなど個性を表現するのに大変でしょうね。
(Cさん)改組になって確か6回目と思うけど作品の傾向ってどうなんでしょう。
(Bさん)そうですね、専門的な評論家でもないし無責任な言葉は慎みたいけど
なんといっても日展って注目されるでしょ。
最近は日展のH.P.でも代表的な先生方の作品が掲載されていて誰でも気楽に見れるし
自分のレベルというか眼力で見ればと思うけど。
(Aさん)篆刻に限っていえばH.P.掲載の16点の内、伝統的な読売系の先生方が約3/4で、
毎日系の先生方は1/4程度になっているようだけど作風もちょっと違っていますね。
作風の違いを楽しむっていうのも鑑賞法のひとつでしょうね。
伝統を重んじる作風と何とかそれを独自の脱皮的表現方法でという違いも興味深いですね。
(Cさん)H.P.によれば篆刻は書の部門で当番審査員16人の内、篆刻はおひとりみたいですね。
(Bさん)どの世界も一緒だけど審査員の先生方には独自の審査基準をお持ちでしょ。
出品者の狙いと審査員の先生方との見方は当然違ってくることもあるよね。
(Aさん)出品者の方々は1年の長きに亘り自分と戦い続けた入魂の作品が一瞬の審査によって当落が
決まる訳ですから考えてみると厳しいよね。
見る人っていうのは制作者と真逆でとても気楽だよね。
会場を隈なく見ると疲れるから一寸見て、気に入った作品だけをじっくり鑑賞する。
(自分だったらもう少し、こうして・・・とか)
公募展の功罪は別にしてやはり日展というのはひとつのブランド如きですから。
お互い、出品していないけど自分のペースで鑑賞させていただきましょう。