ダイハツ ミゼットの思い出

2022-06-09 19:43:25 | 旅行




先日6日のブログ続編です。
ある漆器店にミゼットが展示されていて、見た瞬間、
頭の回線は一気に昭和時代に戻りました。
60年年前のことが一瞬で記憶回線が転換されるとは!

経済白書に「最早、戦後ではない」と発表された直後くらいの
確か1960年ころに前後して
ミゼット、そしてマツダ(当時は東洋工業)からは
マツダK360(オート三輪ベースの小型四輪トラック)が、
更にスバル360が発売されています。
ミゼットは発売当時は丸ハンドルではありませんでした。
当時、ミゼットに乗せてもらった記憶があります。

当時はマイカーは庶民の夢でした。
何しろ当時の大卒初任給が13,000円程度のころに
写真にはありませんがスバル360は40万円程度でしたから、
今の貨幣価値では如何ほどでしょうか。
因みにフランク永井が「13800円」という歌謡曲を
昭和32年ころ、歌っています。

その後、トヨタからパブリカという700ccだっと思いますが
名前の通り、国民車として発売されました。
トヨタは当時、クラウンとコロナがメインだった記憶です。

写真の最下部はアメリカのスチュードベーカーです。
(当時の車種ですが)
なぜここにご紹介かと申しますと、昭和30年代の小生勤務の
支店長車がこの車だったのです。
但し、スタイルはこの写真の通りか記憶は曖昧ですが。
アメリカと日本の車の歴史を辿りますと感慨無量ですね。
戦後、いつ頃だったでしょうか。
当時の日本銀行総裁・一万田氏は日本国内には車の
メーカーは2~3社程度で十分という発言でしたが
令和の時代、車メーカーの熾烈な戦いが続いています。

最初に戻って、なぜ漆器店に車が、という疑問ですが。
何と、車体は漆器で再塗装されています。
発想がユニークでオモシロイですね。


コメント
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