人生第2幕スタートして20数年、畑を掘り・印を刻り・木を彫りの半分・自然に親しむ生活です

篆刻(てんこく)という
漢字の文化、庶民的な
円空佛、こんな世界が
今も存在している!
つれずれ日記です

自動車免許・高齢者 認知機能検査

2021-09-30 11:29:24 | 日記


ご存知のように75歳以上には自動車免許更新前に
「高齢者講習」「認知機能検査」が義務となっています。

昨日は「認知機能検査」を受けました。
結果は自己採点で予想通り記憶力低下は(まあ、こんな程度だろうナ)
と予想通りで、大事なことは記憶に留めるように努力しますが、
どうでもいいことは直ぐに忘却です。
「忘却防止」にはノートを大切にしています。
畑仕事でも「ホウレン草の種蒔き時期」とか季節野菜の種蒔き時期は
ある程度記憶していますが、毎年記録していますので確認しています。
「理解力」は極く普通レベルのようです。

検査は現状分析ですので、良い点数を取ろうとする気はありません。

記憶力、判断力の低下を認識した上で日常、運転すべきと思っています。
「動体視力」「反射神経」の能力も低下傾向ですので特に交差点では
注意しています。
また、生活道路では自転車の飛び出しなどもあり、極力通行を避けています。

でも後続車の接近にはいつも悩まされます。
流れに沿って運転していても、超接近では追突される危険性が大です。
道路幅の広い場合は左側に一時停止し、後続車に譲りますが。

記憶力テストでは16種類の絵を2~3分で記憶し、次に違うテストがあり、
そのテスト終了後に記憶力がどの程度残っているかのテストがあります。
(警察庁H.P.に4通りのパターンが掲載されています)

沢村貞子さんのように朝食、昼食、夕食のメニューを毎日記録していますが
時々、記載漏れがあります。
「一昨日の夕食ってなんだっけ?」
相方も「??? う~ん、ちょっと待ってネ」

未だ、朝食や昼食を確かに食べたよ、という記憶はありますので!

般若心経・第52節、53節

2021-09-28 13:47:14 | 篆刻
般若心経 第52節 「波羅僧羯諦」(はらそうぎゃてい)



     第53節 「菩提薩婆訶」(ぼじそわか)



最後の第54節は般若波羅蜜多心経で第1節と同じです。
特別に信心深い訳ではありませんが般若心経は他のお経と違い
身近なものです。
四国88ケ所巡礼の旅では夫々のお寺で2回づつ読経しますので
暗唱されている方も多いと存じます。

日頃、俗塵にまみれて日々を過ごしていますが仏前や墓前で読経
するときだけは少しだけ心が浄化されるような気持ちになります。
般若心経は書道作品でも「謹書」とします。
篆刻でも余分なことを考えず、「謹刻」し、その印に心を込めました。
気に入らない作品は再度、制作し直し納得できる作品作りを心掛けました。
結果的に1年半程度で完成しましたが、これらの作品は今の自分です。
人からの評価よりも自分の納得感を優先し、やっと終わった!という感慨です。
途中、同じ漢字が結構沢山あり、思案の連続が苦労であり楽しみでした。

「心願成就」

 

般若心経にはない言葉ですが、神社でもお寺でも参拝時に心の中で唱える
いいよ、とどこかで聞いた記憶があります。
心の中で願うことが成就できる、これがいちばん良いのですが。



端正なお顔が素敵です(仏像・インド)
般若心経と直接は関係ありません


般若心経の絵文字

2021-09-26 12:38:14 | 日記


絵文字の般若心経とは昔の人はよくぞ考えたものと思います。
見てみますと文字だけの経文とは違い、なんだかユーモアを
感じます。

随分と前ですが浜松市の龍潭寺へ参拝の折、入手したものです。
このお寺は以前、大河ドラマになった井伊直虎ゆかりで、小堀遠州作の
庭園も見事です。
印刷物でも構わずに軸装にしました。
時々、掛けていますがその度ごとに当時を思い出します。

縦と横の両サイズが販売されていて、横の心経は額に入れて
希望されたある人に受け取ってもらいました。



龍潭寺から約8km,方広寺も名刹として有名です。
写真は5百羅漢です。



動体視力も反射神経も衰えを自覚し、最近は中々遠路までドライブを
する気力も残念ながら失せつつあります。ナサケナイ!
やはり、その時その時の体力気力のある間にやりたことは
すぐに実行した方が良さそうです。

「遣唐使」の印

2021-09-25 17:28:01 | 篆刻


遣唐使も遣隋使も社会科で学びましたが
内容はすっかり忘れています。

篆刻の歴史は文字の歴史と相関関係にもありますので、自然と隋や唐の時代の
ことも頭の中を通過していきます。

中国旅行で阿倍仲麻呂の記念碑を見学したのも10年ほど前のことです。
西安(昔の長安)に立派な記念碑が立っていました。
李白も仲麻呂への追悼の詩を作っています。
参考書によれば20回に及ぶ遣唐使の内、717年、9回目に安倍仲麻呂は
海を渡ったようです。
その後の活躍、そして帰国叶わずはご存知の通りですが。



阿部龍太郎氏の新聞小説「ふりさけ見れば」(主人公は阿部仲麻呂)が掲載中ですが
挿絵を著名な西のぼる氏が描いておられます。
新聞小説は毎日ですからご苦労は並大抵ではないことでしょう。

たまたま、本日9月25日付の新聞には挿絵に「遣唐使印」が
描かれています。
書体は篆書体で、公文書の牒に押捺されていたようですが
小生ではその使用方法も詳しく存じません。
中田勇次郎氏の解説による日本印章概説(平凡社刊・昭和43年発行)に
その当時使用された原印の印影が掲載されています。
印は三井文庫蔵になっていますが、確認しておりません。



遣唐使の復元された船です。広島県倉橋町。
時事通信社引用です。
実際には見ておりません。





「ゴーヤ」ひとり生え

2021-09-24 19:07:27 | 家庭菜園


ゴーヤは最盛期終了ですが、畝には競い合うかのように
ひとり生えのゴーヤが出現しています。
菜園をされている方は勿論、ご存知ですがシーズン初めに種から
苗を作るのは一苦労です。
種子の皮はとても固く、発芽するまでの時間が結構かかります。
種子のある部分をほんの僅かカットしたりして発芽を促しますが
容易ではありません。

それがどうでしょう。
シーズン終了後、ゴーヤの畝の後には驚くほどに新しい苗が群生しています。
完熟したゴーヤの種子が畝に散乱していますのでこれらが
「ひとり生え」になっています。
季節は秋ですのでひとり生えのゴーヤは全て撤去ですが。

その姿を見ていますとにんげんの手の助けを拒否するかの如くです。
自然の面白さということでしょうか。

ひとり生えのゴーヤに似て我々戦前生まれの大半の子供はほったらかしで
育ちました。
躾もろくになし、勿論、塾なんてなしで遊び惚けていました。
「教育」という「教え育てる」という環境でなかったのです。
「ほったらかし」なれの果てがわが身なり、ということでしょうか。