「新・元号」予想は

2019-03-31 19:18:43 | 日記



今や、日本中の話題は恐らく「新・元号」のことではないでしょうか。

関連記事がメディアで熱気を帯びて報じられています。

文字の画数で申せば
明治 16画・大正 8画・昭和 17画・平成 11画


書きやすい元号ということであれば上記の通り20画以内が予想されます。
明治の前の「慶應」は30画でしたが。

先日、8人の会合で新・元号をアルファベット頭文字で予想をしました。
明日の昼には判明しますが。

Aさんは F
Bさんは I
Cさんは K
Dさんは D
Eさんは A
Fさんは B
Gさんは E
Hさんは R

お互いに重複しないアルファベット文字を選びました。
見事、当たった人には・・・お楽しみが!
(写真は光文社作成から引用)

「現展」田中敏夫さんの個展を拝見

2019-03-28 18:51:29 | 日記









迫力満点の絵画展を見てきました。
「遊里からの人模様」シリーズでこの平成31年3月31日まで開催中です。
現展の田中敏夫さんが名古屋・「ノリタケの森 ギャラリー」にて個展です。
ノリタケの森は名古屋駅から徒歩15分ほどの場所にあります。

こうした遊女のテーマを洋画で表現されている方は稀と思われます。
会場にお邪魔した瞬間、圧倒的な存在感にまずは驚かさせられました。
遊女のコスチュームである着物の柄も田中さんの感性で工夫され多彩な表現をされています。
江戸時代の元禄期には遊里と芝居が多くの文化を成立させたといわれています。
絵画や文芸に題材を提供し、文化形成となったわけです。
秀吉が1585年ごろに遊里を始め、家康が継承して整備したとされています。
こうして現代に400年ほど前の世界が絵画を通じて再現されています。

現展とは1948年(昭和23年)11月1日付で日本作家協会・洋画部、現代美術研究会、新生派美術協会が
合同で昭和34年に「現展」に衣替えして現在に至っています。
絵画・版画・彫刻・デザイン・写真の部とあります。
極めてオープンな団体のようで名前の通り、現代的な表現を充たすグループです。

田中敏夫さんとは10年程前に知り合い、当時は名古屋支部長でしたが現在は副代表の立場に居られます。

丁度、桜も満開近しで、その広場で弁当を広げているグループもありました。
(利用されるときは敷物持参で)
レンガの建物も雰囲気にマッチして落ち着いた雰囲気です。
都会の喧騒から離れた素晴らしい環境の「ノリタケの森」です。
一角にはノリタケ製品販売コーナーやレストランもあります。

詳しくは「ノリタケの森」でクリックしてください。

「失敗から学んだこと」

2019-03-26 15:58:42 | 日記


「失敗から学んだこと」。
過ごしてきた人生は人それぞれで、「失敗」があったとしても様々なケースが考えられます。
「受験に失敗」「投資に失敗」「危機管理に失敗」「思い違いで失敗」「商品開発で失敗」「人間関係で失敗」
「夫婦関係で失敗」「不倫関係で失敗」「予期しない失敗」などなど。

最近顕著なのは一部の企業経営者による厚顔無恥で倫理観なき拝金主義による失敗です。
政治家でも「倫理観」薄弱で「恥」という言葉も宇宙の彼方へ飛んでいってしまったかの如き例もあります。
(目先の利益よりもコツコツと正直に、が最終的には正解のようです)

片や、自分ではどうにもならないような「手術で失敗」は悲劇です。

小生も失敗を時々します。
「野菜作り」の失敗。これは主に土作りの失敗?または天候など自然には勝てない場合。
また「作品作り」でも失敗することがあります。
技量不足?準備不足?

正に星の数までとは申しませんが人それぞれ、最近では「偽装で失敗」という例もあり、限りがありません。

例えばビジネス上のB to Bの取引形態の場合、対応の方法で失敗し取引に問題発生ということは頻繁にあります。

解決には一概には申せませんが「問題発生して失敗」したときは真正面から受け止めて、逃げずに、
素直に受け止めて誠心誠意尽くすこと。
そしてスピードです。

先日、「一般社団法人 言の葉協会」の募集テーマで「失敗から学んだこと」の募集がされていました。
応募締め切りは今年9月30日、小中高校の部と大学・一般の部とあります。
ご興味ある方はホームページで。
団体の詳細は不詳ですが教育支援する団体のようで内閣府・外務省・文部科学省・日本郵便などが
後援しています。

「失敗」というキーワードで思い出すことが色々あります。

社会人となり経験の少ない新入社員のころは失敗も数多いですが、その失敗によるダメージは小さく、
その失敗を重ねて教訓を得ながら成長していきます。
ベテランになりますと失敗のダメージは大きくなりますが、対応次第で貴重な教訓を得ます。

小生は今でも現役時代の失敗を時々思い出しますが、あのときもっと別の方法もあったのではないか、
と考えることもありますが、いずれにしても過去のこと、成功例はあまり思い出しません。

失敗も自分自身のこともあれば、部下の失敗の対応に追われることもあります。

失敗の対応策は状況に応じて色々で、根本的に解決するためにはマニュアルだけに頼れません。
自己保身に走らず、相手の立場に立てば自然と解決策も見えてくるような気もいたします。

ビジネス上では毎日のように企業の対応策失敗が報じられています。

募集要項を見て、思わず現役時代を思い出しました。

今では見向きもしない・・・土筆

2019-03-24 12:28:47 | 日記


この季節はもっぽら桜だよりの話題ばかり、TVでもどこどこがまだ蕾とか、そして満開の時期はとか。
ツアー会社はお花見の企画の時期設定に四苦八苦のようです。
名古屋近辺はどうも4月1日ごろ満開のようですが。

一方、今では見向きもされない土筆がまさに「つくし畑」になっています。

以前は老婦人が腰を屈めながら犬の落とし物のない散歩道を選びながら土筆をとっている風景が見られましたが、
今ではすっかり見かけなくなりました。

杉菜の胞子茎で、つくしんぼ・筆の花ともいうそうですが。
わらび・ぜんまい・よもぎなどと共に春の摘み草として喜ばれましたが、ここにも時代の変化が
忍び寄っています。

土筆煮て飯くふ夜の台所 (正岡 子規)

わが庭の土筆添えある夕餉かな(渋沢 渋亭)

1週間ほど前に土筆の卵とじをいただき、晩酌の友に(ああ、春が来たんだ!)

土筆は袴を取るのが大変で、その面倒くさいことから恐らく人気がなくなったのでしょう。

早朝の散歩も気分のよい季節になりました。


カルチャースクール・書道教室の現状

2019-03-20 19:02:15 | 篆刻


カルチャースクールも新聞社系・放送局系・民間企業系・公民館活動など様々ですが
他の分野は不詳ですが書道(篆刻を含む)教室の生徒数の減少は顕著なようです。
日頃、お世話になっている書道用品店・経営者のおはなしでも随分減っていると嘆いて
おられました。

女性の場合は子育てが終わった段階からスクールに通うことができますが、男性の場合、ほとんどが
定年退職後にスタートすることが大半です。
特に最近は人手不足で定年延長や嘱託制度の見直しなどで65歳程度まで働く人が増えています。

しかし従来の定年60歳に比べ、65歳実質定年になりますとこの5年間の延長の影響は大きいと
思われます。
現在の60歳はまだまだ元気(何から新規に始めようか)という気力満々です。
でも65歳になりますと体力・気力の低下を意識し始めます。
この5年間は大きいです。

また女性の方もコムツカシイ趣味よりもみんなでおしゃべりできるスクールが人気のようです。
健康志向で体操とかヨガ、更にパッチワークなど人気の趣味に変化が見られます。

現実にどの書道作品展でも出品会員数の減少に歯止めがかかりません。
書道は女性が半数以上占めると思われますが、高齢化により若い人の補充がないと
衰退の一途です。

書道と一口で申しても書道学科のある大学志望者は入学目的が明確です。
将来、書道家になるとか教師になるとか、そのためカリュキラムを一生懸命学びます。

一方、カルチャースクールなどの志望動機は様々です。
 時間つぶしにちょっと
 友達づくり
 芳名録の記名や年賀状で上手に書きたい
 本格的に書道を学びたい
などなど

しかし、書道教室に入りますと、そうした志望動機は考慮されず、講師の一方的な
練習方法を押し付けられます。

たとえば、臨書をする理由の説明もなく、文字や書道の歴史を学ぶこともなく、ひたすら
講師(先生)のお手本を如何に上手にマネするか、これでは折角入会してもちょっと・・・
まず、受講者のニーズをしっかり把握し、それに対応するというシステムが大切と思いますが。

デジタル化の時代、一般の人にとって「書道の存在価値」は不明確です。
日常生活で硯を出し、墨を擦り、おもむろに書を書く、そうしたシーンはほとんどありません。

グループ展でも講師(先生)が書かれた手本を如何に忠実にマネするか、
自分が書いている例えば漢詩にしても、その内容も分からずにお習字をしているだけ、ということも
珍しくありません。

更に、どの書道教室に入会するかによって今後の行く道が決まってしまうリスクもありますが
こうした業界事情は入会してみないと分からないという悩ましいことも現存します。

そして、ある程度、教室の在籍が長くなると公募展に出品を勧められ、当初予想もしなかった出費や
練習時間に拘束されます。
自ら進んで出品するのは極めて稀です。

比較するのは適当ではないかもしれませんがサービス産業は生き残りに必死で、世の中のニーズを
掴もうと必死です。
時代の変化に翻弄される外食産業、流通業の変貌ぶりを見ていますと旧態依然と揶揄されるような書道関係も
何らかの変化を求められているような気がいたします。

「書」にしても「篆刻」にしても極めてアナログですが、心の癒しになる芸術であり将来も必ず残ると
思いますが、若い人にとって夢を語れる世界になれば、と願っています。

時代に媚びず、時代の変化を感じとる、今の時代のあったやり方を望みたいものです。