人生第2幕スタートして20数年、畑を掘り・印を刻り・木を彫りの半分・自然に親しむ生活です

篆刻(てんこく)という
漢字の文化、庶民的な
円空佛、こんな世界が
今も存在している!
つれずれ日記です

時代は動いている・・・

2020-02-27 14:14:14 | 日記


所用で名古屋へ出かけるのはもっぽら公共交通機関ですが
コロナウイルス問題で混雑を避けて車での外出をしました。

公共交通機関と異なり、当然ながら車窓風景は違ってきます。
以前は桜通りと大津通の交差する名古屋の中心街の場所にちょっとリッチな理髪店が
ありましたが煮込みうどん店に変わっていることに気がつきました。
その腕前、サービスに誇りを持った職人さんの店でしたが。
現役時代に時々お世話になっていた店で時代の流れとは申せ、ちょっと残念です。
そういえば町の理髪店いわゆる床屋さんは印象的にはかなり減っているようです。

理由のひとつが「理髪店」「床屋」さんはオジサン向けの印象が強く、若い人は
美容院へ行く傾向があり、更に後継者問題もあるそうですが。
また最近は超短時間で調髪をする店も見かけます。
理容師になるには国家資格も必要で、専門学校を出てからすぐにお客さんの
髪を触れないシステムになっているとのことで、新たに理容師を希望する人も
減っているようです。
収入面でも厳しいようですね。

一方、美容院も国家資格が必要ですがイメージ的には若者向きで減少幅は小さいようです。

1時間強のドライブ中に気が付きますのはフィットネスクラブ、スイミングクラブ、
などスポーツクラブの台頭です。
やはり世の中、健康志向で(太っているのは恥ずかしい)という感じで体形を気にしない
中高年は別にして太めの若い女性はめったに見かけません。
時代の変化はビジネス世界でも当然ながら栄枯盛衰があります。



般若心経 第17節 「不増不減

「増えることも減ることもない。
事物の現象の世界は増えたり減ったりする変化によってとらえられるが
そうした物質的現象は、縁起という空の相からみれば存在しない。」


新型コロナウイルス問題は土地開発、環境破壊、工業化など世界的な環境変化に
よって「細菌の逆襲」(ウイキペデイアより)などと呼ばれ今後も新しい感性症が
発生する可能性を指摘されています。
にんげんの無力さを嘲笑するかの如きです。
問題は未だ終結したわけでもなく、人間の生命の根幹に関わることです。

約100年前は世界の人口が約12億人、それが急激な人口増となり1次、2次産業も
工業製品の使用も増え、影響も極めて複雑化して来ています。
地球温暖化問題に見られるように国によって見解も異なり、一向に解決策も議論されず
実行も先送りにされています。
地球が人類に試練を与えているような気持ちにさせられます。



吉田 茂の生活

2020-02-24 09:09:52 | 日記


偶然っていうのはあるんですね。
2月18日に吉田 茂をブログにアップしましたが偶然にも本日24日にTV東京系で
「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理・吉田 茂」が放映されることを
番組紹介で知りました。

(2時間30分番組ですから録画でゆっくりと)

そこで、ここではエピソード的に書棚にあった雑誌「サライ」(1990.5.17.号)から
少しご紹介させていただくことに。
写真は昭和41年4月29日、皇居に参内したときの姿。
杖は昭和天皇から贈られた恩賜の鳩杖。
フロックコートにシルクハット姿です。


食前にはシェリーを楽しみ、その後には愛飲のスコッチウイスキーのオールドパーを。
氷を落としたロックグラスにゴボゴボと注いで飲んだそうです。



読書はほとんど洋書であったという。
ミステリーも結構読んでいたようですが銭形平次捕物控も読んでいたとか。

今の政治家ってどんな本を読んでいるんでしょうか。








浴室には和船の形の浴槽が。

ユーモアを解し、一流品を愛した頑固な明治人の大人の贅沢。
中途半端なものに手を出さず、相続した大金を惜しげもなく使い果たした男。

車は好んでロールス・ロイスに乗ったそうですが英国貴族を気取っていると
マスコミから格好の餌食でした。
そして昭和29年、西ドイツのアデナウアー首相が訪日の際に借款の見返りに
ベンツを購入したという。
360億の借金の見返りにベンツ1台!
このベンツは吉田茂よりも運転のし易さで運転手が大喜びだったという。

敗戦直後の日本、アメリカのマッカサーと対等にやり合った吉田 茂は当時の
新聞などで結構叩かれたり、国民からの評判も決していいものではありませんでした。


佐藤一斎「言志四録」に「後世の毀誉」の項に

当今の毀誉はおそるるに足らず。
後世の毀誉はおそるべし。
一身の得喪は慮(おもんばか)るに足らず。
子孫の得喪は慮る可(べ)し。

  現世で悪くいわれようが、褒められようがそれは恐るるには足りない。
  後世になって悪く言われたり、褒められたりすることは恐ろしい。
  わが身の得失、利害は心配するに当たらないが、子孫に及ぼす影響は
  充分に考えておかねばならない。

吉田 茂は在任当時、個人的なことよりも国の行く末を最優先したとされています。
今の時代は絶対的な権力を握っているのは大衆のようです。
イギリスのEU問題で有権者の1票が行方を決めました。
有権者の高い見識を求められている時代のような気もいたします。

THE尾州(繊維素材)フェアを見学して

2020-02-21 19:42:30 | 日記


「第17回THE尾州」という時代の先端を行くテキスタイルヤーンの
新素材展示会を見学する機会がありました。
この企画展は主にBto Bの展示会ですので一般人には関係はないのですが
毛織物で有名な産地で住んでおり(今の時代、業界の新技術の展開は
どうなっているのか)新たな息吹を知る絶好の機会と、老妻と出かけました。
(主催*一宮地場産業ファッションデザインセンター)

繊維産業とひとくちに申しても「川上」の原糸メーカー業界、生産加工する
「川中」、そして衣服など最終製品にする「川下」とありますが、今回の
展示会は主に「川中」です。

テキスタイルという世界はITなどと異なり、誰でも衣服は身に纏っていて
身近な世界です。
感性を磨くという意味では絵画など美術作品を見るのと同じと思います。
出展されている企業は少しでも新しい素材をアピールしてテキスタイルメーカーに
売り込もうと「糸」という素材を様々に工夫されています。

尾州産地では主に羊毛素材を中心にして合成繊維や綿などの混紡も増えてきて
います。

繊維も「衣料用」「産業用」とあり、最近は自動車、建材、カーペット、カーテン、
シューズ、航空機など産業用分野は広がっています。
衣料用では国内産地は苦戦気味ですがカーボンファイバーや防炎素材のアラミドなど
市場シェアーの大きい分野では成長が顕著のようです。

因みに国内アパレル市場における衣類の輸入比率は何と97.6%(2017)
1991年は51.8%でしたのでその数字に驚きます。
但し、国内メーカーも海外に進出し、日本国内に持ち込むビジネスモデルも増えています。

今回の展示会では紡績や撚糸、意匠デザイン、環境に配慮した生分解性の糸、
リサイクル利用、紙の糸への応用など時代性を考慮するなど研究の成果が表れています。

今回、グランプリを受賞されたのは三星毛糸(株)の岩田真吾氏で
「ヌメロ・ラーナ(ぬめりのある新しいウール)」でした。
ウールの新しい世界を引き出し、カシミヤにも匹敵する”ぬめり”を表現しています。

この三星毛糸(株)には昭和43年3月29日に当時の皇太子ご夫妻が工場見学を
されています。
ご成婚が昭和34年ですので写真を拝見して初々しさを感じますね。

写真は当時、関係者の方から頂いたもので今も手元のアルバムに保存しています。
繊維工場への行幸というのは当時の産業界を反映しているようです。
日本経済を繊維業界がまだまだリードしていた時代なんですね。
写真最も左の方は当時の愛知県知事・桑原幹根氏です。

この2年後でしたか佐藤総理が日米繊維問題で渡米されたのは。
日本からアメリカに繊維製品の輸出が急増し、また沖縄返還問題という難題も
あったと記憶していますが・・・

今の愛知県は江戸時代、「尾張」と「三河」に分かれており、「尾州」は主に
「尾張」を中心にしていますが木曽川の流れは現在と若干異なり、岐阜県の羽島市の
一部も含まれています。

繊維は主に天然繊維(綿・麻・羊毛など)と合成繊維(ポリエステル・ナイロン・アクリル・
ポリプロ・炭素繊維・アラミドなど)、再生繊維(レーヨン、アセテート・キュプラ)が
ありますが羊毛繊維は全繊維の内、わずか1.2%という比率で、尾州産地は毛織物産業が
盛んでしたが輸入品やライフスタイルの変化の影響が大きく、機屋さんもすっかり寂れました。

当地では関係しませんが絹に至っては0.2%を占める程度です。
綿は今でも27%を占めており天然繊維の中で重要な位置を保っています。

そして家内は「こんな高級品のボトムズ、定価16,800円のところ○○円で買えたわよ」
ご興味の対象が違うようで。

毛織物の詳細は「日本毛織物等工業組合連合会」H.P.でどうぞ。




吉田 茂というひと

2020-02-18 12:28:10 | 日記



丁度30年前、1990年発行の雑誌が本棚の隅にひっそり佇んでいました。
「人物日本史 明治・大正・昭和」

評論家・小林秀雄からの引用ですが。
「吉田茂が大磯の投票場で、土足のままで投票したということで大変評判を
 悪くしたことがあった。
 ある高名な批評家が、こんな高慢無礼な人間に、民主主義政治を任せては
 おけぬと息巻いているのを読んで、私は不思議な気がした。
 (中略)
 恐らく、投票場に乗り付けた吉田茂はこの民主主義的投票場が下足番付きで
 あることを見て、あきれ返ったであろう。
 どうせせっかちな人だから、あきれ返っている内に、もう投票箱まで歩いて
 いたのであろう。
 そんなことだったに決まっている。
 漫画にして描けば済んだことだ。
 息巻く必要なぞどこにあったのか。
 バカバかしい。」
 
 横山泰三という懐かしい漫画家の名前を思い出しました。
 
 漫画のルイ・フィリップは18世紀のフランスの人で言論の自由を標榜した
 のですがマスコミから華々しい漫画戦が展開されたそうです。

 風刺漫画というのは言葉の批判よりも力があるときもあります。

 最近は新聞をみてもめっきり風刺漫画を見かけなくなりました。

 吉田茂という人は小林秀雄によれば、会ってみると大変ユーモアを好む人である。
 漫才はいくらでもいるが、ユーモリストは稀である、と。
 そういえば最近はユーモアのある会話って少なくなりましたね。

 敗戦直後、マッカサーと対等に亘り合い全く怯むことがなかったと退任後、
 評価が高まった政治家です。

「日本を決定した百年」昭和42年 日本経済新聞社発行 定価340円
 エンサイクロペデイア・ブルタニカの巻頭論文としての吉田茂論文。
 目次を見ますと
 *明治の創業 *近代化のジレンマ  *戦後の2,3年
 *奇跡の経済発展 *奇跡のあとで

 吉田茂の著書はそんなに出版されていないようです。

 断捨離で古い本はかなり廃棄しましたが、この本は今も本箱に。
 今でもアマゾンで中古本として出品されていました。

 そういえば、平成の名政治家の名前が愚鈍のせいかよく思い出せません。

 

漢字の横書き

2020-02-16 17:12:19 | 篆刻


文字(日本語)を書く時は基本的には縦書きである、と確か石川九楊先生が本に書いておられた記憶があります。
その謂れは木簡・竹簡(まだ紙が発明されていない時代)は全て縦書きです。

便箋には縦書き用に線が引かれているのもこうした木簡、竹簡の歴史から由来しています。
そして漢字の行草書の書き方の流れは縦書きでないと次の文字に移りにくくなっています。



余談ですが、木簡、竹簡は1枚の中に出来るだけ多くの文字を書くため横幅が広い書体になっています。
お役人などが書く書体で「隷書体」と呼ばれています。
今でもお店の看板や表札などで隷書体が使用されていますね。

それでは看板、表札の類が横書きの場合、右から左へ書くのは何故か。
それは1行が1文字で縦書きに記入しているとすれば理解できます。

それでは特に戦後になって横書きで左から右に書くようになった理由は?
それは英文の影響のようです。

篆刻も便箋の縦書きと同様に右から左へと字入れします。
ハンコの字入れも同様です。

写真から拝見しますと何らかの意図があるんでしょう。
寺名が右から左へ、説明文は左から右へ、混在している珍しい例と思われます。

光明寺という名前のお寺は全国各地にあるんですね。
長岡京市の西山浄土宗総本山・光明寺は有名ですが。
(写真は総本山・光明寺ではありません)



般若心経 第16節
「不垢不浄」
汚れているとか清らかであるとかいうことでもない。
「垢」は汚れた俗世間、「浄」は仏や神々の聖なる世界。

地位や名誉、他人からの評価、それらの全ては、空の相から見れば無価値である、と。

作品は「不」が上部の横並びになり、作品に変化をつけるため回文という手法で制作しています。
時計と逆回りで字入れしています。


ブログの内容とは関係ありませんが巨人の長嶋茂雄終身名誉監督はこの20日、誕生日を迎えられます。

今年の春は例年より早い気がいたしますのでテンプレートも変更です