人生第2幕スタートして20数年、畑を掘り・印を刻り・木を彫りの半分・自然に親しむ生活です

篆刻(てんこく)という
漢字の文化、庶民的な
円空佛、こんな世界が
今も存在している!
つれずれ日記です

写真館のアルバム

2019-10-27 20:33:14 | 日記


家内・実家の両親が亡くなりボチボチと整理をしているんですが、どの写真を保存し
どの写真は処分してしまう、という判断は結構難しいものです。

特に、写真館の記念写真にはモデルの名前も日付も記入されておりません。
現在でもこうした習慣は何故か残っていて、モデルの被写体の名前や撮影日は記入されておらず、
七五三や入学などの記念写真が送られてきたときは直ぐに当方で記載するようにしています。

冒頭の写真は大正時代末期から昭和にかけてのようです。
傘を持って撮影とは珍しいポーズで、当時はこうしたポーズは一般的だったのでしょうか。
しかし、モデルの人物が不詳ではどのように保存すべきか、ちょっと悩みます。

ここには掲載いたしませんがガラス板に写真が焼き付けられているのも発見し、
写真の歴史を語るようで、これは捨てれません。

最近、デジカメ時代になってからはプリントして保存する習慣も下火になっているようです。
スマホ撮影でもスマホ内に保存という方が多いような気がいたします。

過去を振り返る機会は少ないですが、ゆっくり眺めていますと当時の服装とか髪型など
時代を語ってくれてタイムスリップしたようです。
手元には大正時代と思われる写真が沢山残されており、整理するのに頭を悩ませます。



紙一重の差で?

2019-10-25 12:32:03 | 篆刻


日展は過去の様々な紆余曲折を経て、今年も間もなく東京・六本木の国立新美術館で開催されます。
入選者、入賞者の発表がされたばかりですが合否の結果は極端に申せば天国と地獄。

書の公募展も例えば地方の中日書道展から始まり謙慎書道展、更に読売書法展(関東系)か毎日書道展(関西系)、
最後に日展が最高峰と位置づけられています。
全国各地で書道教室を開いている先生方にとって日展入選は最も高い目標になっています。
肩書に「日展入選○○回」は生徒を募集するのに大きな武器です。
ですから趣味程度でやっている人にはこうした先生クラスとの競争になりますから、日展入選は至難です。

現在、日展の書部門(篆刻を含む)の会員数は107人(内、篆刻は8人)準会員数は30人(内、篆刻は5人)
会友数は689人(1958年以降で入選履歴10回以上で資格獲得)
日展の書部門の入選率は10%前後です。
先程記載しました如く一般人には日展会友との競争にもなりますから難しさは想像を絶します。

日展の発表では今年の書の部門審査員は
外部から2名、理事から2人、会員から10人、準会員から5人で構成され、篆刻の方は準会員の1人だけ!

Aさん「書道家が篆刻作品をどういう観点から審査されるか興味ありますね。」
小生 「う~ん、確かに! 審査員の先生方にお聞きしてみたいものですね。」

Aさん「厳正で公平に審査するといっても書道家の方って篆刻にも詳しいのでしょうか?」
小生 「書家・学者として昭和の西川寧先生のように書も篆刻も一流の方も居られましたが。
    最近のことは小生、不詳ですので何とも申し上げようがないですが」

Aさん「改組になって厳正でオープンな審査が目的化し、本来の作品レベルを審査する基準ってどうなんでしょう。
   それに書部門に限らず作品の審査というのは最終的には審査員も人間ですから好みも反映されるでしょ。
   絶対評価はできないんですから。
小生「審査のプロセスはよくわかりませんが。
   小生は日展に4~5回応募したけど勿論落選!
   でも落選しても応募したメリットもあるんですね。
   その理由は応募締め切りより随分前から準備して制作しますから、自分でも少しは進歩したかな、という
   実感が湧いてきますから。 (最近は体力、気力の点から応募には無縁で)
   昨年は東京まで見に行きましたが作品の7~8割程度は入選レベルに納得、しかし、この作品が・・・
   
   びっくりしますのは関東系と関西系では随分と作風も違うことですね。
   
   故・村上三島先生の言葉を引用すれば
   「公募展で一喜一憂することはない、評価方法によって入選落選は異なってくるから、って」

Aさん「考えてみると篆刻っていうのは今から2千年以上前の古璽をベースに制作されている人が多いでしょ。
   このIT時代に不思議ですね。
   しかも理解不可能な全く読めないような作品が多く、易しい言葉は何となく作品にしない傾向がありますね
   素人でも分かり易い釈文が添えられているといいのですが・・・」
小生「書道でも篆刻でもざっくりいって千年以上前の李白や杜甫、蘇軾など中国人の作った漢詩などを作品にするでしょ。
   外国人から見ると不思議らしいですね。
   日本人なら何故日本人の漢詩などを作品にしないのか、って。
   理想的には自分で作った漢詩だといいですね。
   
   漢詩など言葉にはメッセージ性があるんだけど、今はそれらは全く無視されて文字の線質やデザイン性などを
   表現するのがメインになっていますね。
   ですから書は芸術なのか、という論争もありますね。
   仮名は日本独特の書体で万葉集や古今和歌集などから引用して書いておられる方が多いですが、読むのは至難です。
   なにしろ変体仮名が主ですから本人以外は読めないのが普通とか書家から聞いたことがあります。
   漢詩などを書いている人も先生のお手本通りに書いて、内容も分からずというのは一般的のようで、これは
   問題だよ、と先程の故・村上三島先生もおっしゃっていますが。」
   
  「現代人は日常的に筆を持つことが殆んどなくなり、書や篆刻に親しみを持ってもらうためには
   (この作品はこうした狙いで制作しました)というようなメッセージが添えてあると
   来場者にも理解を深めてもらうことが出来ると思いますね。
   絵画の院展ではこういう意図で制作した、というような言葉が掲示されていて作者との距離が縮まりますね」

Aさん「まあ、どこの世界でも一緒と思いますが思い切って40代、50代の若い人の斬新な発想を取り込む時代かも知れませんね。」
    
出品作品をじっくり見たいかたは是非、東京へ、ですね。
地方展は地元の出品者中心ですから、どうしても満足度が低くなります。

「日展のH.P.」で昨年の主な作品はご覧になれます。





円空仏教室・作品展

2019-10-23 18:02:22 | 円空仏


日頃、教室や自宅で制作している円空仏、何か目標がないとダラダラしたペースになります。
年に1回はご覧いただく、ということになると制作にも少し力が入ります。
そして来場していただいた方と雑談できるという愉しみもあります。

まあ、出来栄えはしょせん素人の作品ですし、出品者それぞれの人が自分で満足できれば
良いのでは、という気楽さです。

時々、聞かれるのですが
「円空仏を制作していると功徳はありますか?」
何もございません。

いわば座禅に似ているようです。
只管打座ということばがありますが、座禅もやったから何か得られるものでもありません。

円空仏を制作しているときは「無」の境地にはなります。
心が満たされると申しますか。

尾張・円空仏を彫る会
令和元年10月28日~11月1日
一宮市篭屋1-4-3
尾西信用金庫本店ギャラリー
電話0586-45-1141

ご興味ございましたらご来場ください。
(写真は小生の駄作ですが)



「度一切苦厄」般若心経54節の5 (小生・謹刻)

(引用から)
いつも他人に向けている眼を、180度転換して自分に向けてみるがいい。
世の中、みんなあてにならない。
中でもいちばんあてにならないのが自分だな、と気がついたら一遍に気が楽になるのではないか。

木の板に墨書きで滲まない方法

2019-10-21 18:17:21 | 篆刻



この道ひとすじ
第36回 尾張名古屋の職人展がこの10月18日(金)~20日(日)の3日間、
名古屋TV塔近くのNHKプラザウエーブ21で開催されました。

以前から知りたかった質問
「表札に墨書すると滲みますよね。滲みを防ぐ方法ってあるんでしょうか」
「普通に書けば滲みませんよ。
 ただ皆さんは墨をちょっと擦ってすぐに書くでしょ。
 これでは滲みますよ。
 硯で磨るとき、力を入れずにゆっくりゆっくり時間を掛けてやるんですよ。
 よくいうじゃありませんか、墨を擦るときは力のない女性が適していると。
 墨には膠が入っているでしょ。これがゆっくり溶け出して滲みを防ぐんですよ」

たしかに硯の上では粘り気のある墨液状態でした。




続いて仏像制作職人さんに質問。
「お使いになっている彫刻刀はどのくらいの頻度で研がれるんでしょうか」
「極端な場合、半日使用したら磨きますよ。
 要は切れ味が悪くなれば彫ることが難しいですから、鑿でも一緒ですよ」

(えっ、そうなんだ! 小生は1~2ケ月に1度程度、これではダメなんだ)

すぐ横では若い女性職人さんが一心不乱でした。
このコーナだけでなく結構若い職人さんを見かけ、心強く感じました。

職人さん、という言葉を聞くだけで何となく気持ちワクワクです。
一人前の職人さんになるにはこの道何十年でしょうから。
学ぶことがいっぱいあります。

今回の展示は板金加工・仏具・仏壇・建具・桶・石材・左官・貴金属・クリーニング・
楽器・ハンドバッグ・鞄・提灯・友禅黒紋付・畳などなど多彩でした。


カンナがけコーナーがあり、またも質問。
「カンナの刃は電動カンナの影響ってあるんでしょうか」
「そうですね。今は手作業のカンナは少なくて、刃も替え刃式(使い捨て)が多いですよ」
「えっ、びっくりですね。ノコギリの刃も使い捨てが大半ですが」
「カンナの刃を作る職人さんも減り、自然とそうなったんです」

手間暇掛ける仕事が減り工業生産品が増えているんですね。



特設舞台では郷土芸能が開催されていました。


奈良・興福寺の東金堂の書

2019-10-18 10:29:41 | 篆刻





個人的な好みですが数ある仏像の中で奈良・興福寺の阿修羅像は別格です。
言葉では表現できない憂いを帯びた表情は人を惹きつける魅力があります。
2009年には興福寺創建1300年記念で東京国立博物館にて阿修羅展が開催され、何と来館者数が80万人以上! 
絶大な人気です。

今回、阿修羅像を拝観するのは3回目、何度見ても魅力的です。
阿修羅と修羅は同じ意味だそうですが、「修羅場」という言葉の語源にもなっているようです。
阿修羅像は足にはサンダルを履き、洲浜座と呼ばれる岩場のような形を模した台座に立っています。

その興福寺の一角に東金堂(とうこんどう)があり、パンフによれば726年に建立され、
1415年に再建された、とあります。

その東金堂に経文らしき書道作品が建物外部に貼ってありました。
よく見ますと文字の作風がバラバラ。
(う~ん、何だろう、これは)
何と中学生や小学生たちが1文字づつ書いており、そのアイディアを考えた発想の斬新さに(やるなア)
 
考案されたのは管長?または?
普通は僧侶やプロの書道家の作品が掲示されますが、常識に縛られない発想! 素晴らしいです!
こうしたアイデイアは小生の如き固い頭では無理。






最寄りのJR駅でJR東海のPR誌を入手、(何かおかしいなあ)
見過ごせばどうでもいいことかもしれませんが、小和田駅表示の「和」の字は「禾偏」ですよね。
「木偏」の「木」と「口」を合わせた文字はないですから。
例えば「令和」の「和」が木偏だったらたいへん。
発行部数の多いPR誌ですから発行元が撮影前に小和田駅担当者に指摘してあげる親切が必要ですね。

重箱の隅をツツクミタイで・・・