瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

自分の履歴を自覚的に手放す

2013年08月10日 | 瞑想日記
一度目の脳梗塞は、2008年1月2日(水)に起こった。暮れの12月28日からはじまった八王子での瞑想合宿の6日目であった。午前中の、先生のダンマトークをメモする字が乱れ、面接時に話す舌の動きが鈍く、歩行瞑想でもふらついた。父が脳梗塞で倒れた時の経験があるので、すぐ病院に行く必要があると感じた。いくつか電話してもらったがベッドの空きがなかった。しかしたまたまキャンセルが出た八王子市内の脳神経外科の病院がありその日のうちに入院できた。そのためか麻痺は軽くすみ、右手で字が思うように書けなかったのと、少しろれつが回りにくくなった程度であった。5日間の入院と退院後2日の病欠後、すぐ職場に復帰した。その20日ほど後のブログで、私はすでにミンデルとの関係で自分の脳梗塞の意味を考えていた。

1ヶ月もたつと麻痺もほとんど消え、発病前と変わらぬ生活に戻っていた。ところが1月27日、急にまたろれつが回らなくなった。回復するどころか明らかに後退している。少し、不安になった。また小さな脳梗塞が起っているのではないか。かかりつけ病院にいった。医者の判断は、本人がまたしゃべりにくくなったと感じるなら、ほぼ確実に小さなな脳梗塞が起ったのだろう、とのことだった。しかし、入院するほどのこともなく、結果を追認するだけのことだからと、MRIもとらなかった。

ただ不安に感じたのは、小さな脳梗塞が波状的に繰り返される可能性があるということだった。そんな不安の中で私は、ミンデルの『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』や『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』を再読した。

「うしろ向きに馬に乗る」とは、日常的な意識のあり方を裏返すことの比喩である。それは、たとえば病気に対して「とんでもない」と言いながらも、一方で「しかし、これは何と興味深いのだろう」と言うことを意味する。

「普通、死は恐ろしいと思われていますが、うしろ向きという異端の考え方では、死が何かを教えてくれると捉えることもできます。‥‥苦しみに対して『嫌だ』と行って何を試しても効果がないときには、苦しみに『なるほど』と言ってみてください。そうすると、トラブルが何か面白いものに変化して、喜びにあふれ、笑いをこらえきれなくなるかもしれません。」

プロセス・ワークは「世界に対して今起りつつある出来事の可能性を見抜き、何かが展開しようとしている種子として世界をとらえる」ことだという。この時、私は「自分にとって脳梗塞は、可能性に満ちた種子なのかもしれない」と書いている。

次に再読した『シャーマンズボディ』。 読み出してさっそく、思わず感嘆してしまう言葉に出合った。人は、何らかのワークや修行をすることで、あるいは年齢を重ねるだけでも、「自分のアイデンティティはいずれ消え去らなければならない」ということを学んでいく。個人のアイデンティティ、ないし個人の履歴は、消し去らなければならない。アイデンティティは、「社会的な役割やコミュニティから期待される型をあなたに押しつけ、あなたの境界を定めてしまう」からだ。

「自分の履歴を自覚的に手放すか、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか、どちらかしかない。」(何と強烈な言葉か!)

「自分の履歴を手放すことが、この世に生まれた以上は誰もが必ず学ばなければならない決定的に大切なレッスンである」とミンデルは言う。

夢に現れる敵は、実は自分に強い影響力を持つ「朋友」だ。病気も、家族とのトラブルも、同じように強烈な「朋友」だ。「人生の神話とは、望もうと望むまいと、この朋友との対決の物語だ。」 それは、自分のアイデンティティを消し去るまで、何度も何度も繰り返し襲いかかってくる敵であり、「朋友」なのである。人生は、強固なアイデンティティを手放すというたったひとつの主題をめぐって、学習を続けていくプロセスだともいえる。

2008年2月9日付のブログで私は次のように書いている。

―― 私が軽い脳梗塞を体験し、その意味を夢で確認した(夢の内容は省略)のは、「自分のアイデンティティを消し去る」という課題に、私がこれまでにもまして真剣に立ち向かわなければならない、ということだったのだろう。

「自分のアイデンティティを消し去る」とは、今度の脳梗塞の後に私が使った言葉で言えば、「透明になる」「魂の浄化」と同じことだ。私が二度目の脳梗塞を経験してしまったということは、一度目の後、この課題に真剣に取り組まなかったということだろう。だからこそ、もう一度だけチャンスを頂いたのだ。

それにしても「自分の履歴を自覚的に手放すか、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか」は、ずばりこの二つの選択肢しかないことを突き付けられる。私は、「自分の履歴を自覚的に手放す」チャンスをもう一度だけ頂いた。このことを肝に銘じよう。
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病後にミンデルを読み返す

2013年08月09日 | 瞑想日記
今回の脳梗塞の発症とその後の入院生活、そして病院のスタッフの人々の働く姿を見ての喜びなどを思い返すと、何かとても静かな心でその全体を肯定的に捉えている自分を発見する。だからこそ、ミンデルをもう一度読み返そうという思いが湧いた。しかし、本を読み返すまでもなく、過去にこのブログにミンデルの言葉をたくさん載せてきたのを読み直す方がよいことに気づいた。このブログの右上の検索欄で「ミンデル」と入れて「このブログ内で」で検索した。それらを読み返していると、前回の脳梗塞(2008年1月)に触れているものもあり、その頃のブログも読み返した。ともあれ、病気のあとミンデルの言葉を読み返すと、また感慨深いものがある。

まずは簡単にミンデルの紹介。

ミンデルは、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。

タオ=「ドリームボディ」=「大きい力」=「時空を超えた世界」が、実はこの日常的現実とひとつであり、夢や身体症状や偶然の一致や、一見不幸な出来事などの形をとって、絶えずこの現実の中でプロセスを展開しているということ。タオと現実とがひとつらなりであること。その働きかけを自覚してそのプロセスに自らをゆだねることが心理療法という実践のかなめであり、人間の心理的成長にとっても大切なことなのだ。

現実の中の病や人間関係のトラブルや苦悩や絶望や挫折、それらがすべてタオからのメッセージ、いやタオそのものが発現するための大切なきっかけなのだとしたら。そうだとすれば私は、日常を生きながら、その現実のプロセスの中により深い次元を発見し、その深い次元を生きることができる。そこに気づかせてくれるのが、ミンデルのたまらない魅力なのだ。

以上は、以前書いた文章からの抜粋なのだが、改めて読み直して、今回の脳梗塞を私は最初からこのような視点で捉えていたなと確認した。私にとって今回の病がタオからのメッセージ、働きかけであることは最初から明らかだった。病気を通して、妻との関係も以前よりよくなっている。病院のスタッフの人々の私心のない働きぶり(すべての人がそうだとは言わないが)は、私に静かな影響を与えている。これらすべての経験が、私に深い影響を与えている。

ミンデルは、ドン・ファンの「第一の注意力」、「第二の注意力」という言葉を借用して次のように言う。

「第一の注意力は、私たちが日々の仕事をこなし、定めた目標を達成し、自分のアイデンティティを保つのに必要な自覚である。一方、第二の注意力は、普段無視している内的な出来事、主観的な体験、非合理的な体験に焦点を当てる自覚である。第二の注意力は、無意識的(で夢のような)動作、偶然の出来事、うっかりした言い間違いといった、四六時中生じている自発的なプロセスへ向けられたものだが、それは夢見の世界への鍵なのである。(『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』)

第二の注意力を育むことによって、日々の生活の場である現実が、豊かな意味をもって働きかけてくる。夢が、私にそっと何かを教えてくれるように、体の症状も夢と同じメッセージを伝えようとしている。日常の中で延々と続けられる散漫な思考や夢想も、気づきさえすれば、私の奥深くから湧きあがってくる「傾向」を物語っている。それは、気づきさえすれば夜見た夢と同じプロセスを物語っている。そして気づき(サティ)は、日常の中でも研ぎ澄ましていくことができる。
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新たな生活

2013年08月08日 | 瞑想日記
退院後一日目の今日は、午前9時から通院のリハビリで、入院していたリハビリ病院に行った。家から電車と歩きで30分ほどだが、乗り換えが2回ある。一人で電車に乗ったがさほど不安はなかった。いちばん苦手だった下りの階段も手すりにつかまりゆっくり下りれば問題ない。通院は9月からの通勤のリハビリになる。

通院は理学療法だけ、担当は若い男性だ。彼も「脳梗塞の2度目は1度目より麻痺がかなり重くなる場合がほとんどだ」と言っていた。私が実は2度目だと言うと驚いていた。いずれにせよ、3度目が起こる可能性は充分あり、その時は今回のような軽い麻痺ではすまされない。そういうリスクを負ってこれから生きていくのだということをあらためて自覚した。

だからこその徹底した食の管理と適度な運動、そして私はそれに加えて気功やヨガ、ゆる体操と瞑想が加わる。食の面では一日半断食も再開しようと思っている。入院中の小食に慣れているので一日半断食もかんたんにできそうな気がする。

夕方、荒川の土手を40分ほど歩いた。後半、家に向かう道では痛みはなかったが、両足がかなり疲れていた。この足の疲れも徐々に消えていくのだろう。発病は、この土手をジョギングして帰り、風呂に入ってビールを飲んだ後だった。アルコールはもう飲まないが、いずれジョギングは再開したい。その時はもちろん水分を充分とりつつ。かつては、この土手をサティしながらよく歩いた。その時々のサティの状態をこのブログでもよく報告した。今日も後半、思い出したようにサティをした。明日はもっとサティに集中しよう。

入院中、ほぼ毎日「ストレッチボード」というのを使って15分ほど、ふくらはぎの筋肉を伸ばしていた。左脚は麻痺の後遺症か、疲労すると夜こわばりやすいので退院後も充分なストレッチが必要だ。それで病院で使っていたボードの簡易版のものをAmazonで見つけて注文した。こんなイメージのものだ。病院では壁を背にこの上(病院のは金属製のもう少し複雑なもの)に毎日15分ほど立っていた。家でもやろうと思っているのだが、どうせやるのだから、私としてはこれをヴィパッサナー瞑想の「立禅」として行うつもりだ。足裏の一点に集中し、その感覚の変化にサティを入れていくのだ。麻痺の関係で足を組むことは今の私にはできない。とすれば、歩行瞑想や立禅、椅子に座っての瞑想が中心になっていく。立禅はこのボードの上でやれば、ストレッチを兼ねることができる。
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退院

2013年08月07日 | 瞑想日記
今日、リハビリ専門病院を退院した。6月30日に脳梗塞で倒れて以来、38日間の入院生活だった。退院を前にした一週間ほどはリハビリのトレーニングはさらにハードになった。疲れて夜はぐっすり眠れた。家に戻ってすぐ体重を計ったら66.2キロだった。入院前が71.5キロだったから一か月ちょとで5キロは痩せたことになる。目標の65キロには届かなかったが、次の一週間の目標としよう。

最初の入院生活も、その後のリハビリ病院での生活も私にとっては始めての貴重な体験だった。最初の病院だけではなく、リハビリ病院という職場で働くケアワーカー、看護師、理学療法士、作業療法士の方々の姿にも深い感銘を受けた。こんなに素晴らしい方々が揃っているのは、ここが特別な病院だからとは思はない。たぶんこれが、日本の病院の当たり前の姿なのだろう。

麻痺が軽く、回復も順調だったため、心に余裕があったこともあって、病院での出会う人々との会話も楽しんだ。私を担当してくれた理学療法士や作業療法士、そして食事のとき同じテーブルだった患者の人々との会話も貴重だった。退院を楽しみにしている人も多かったが、私はもう少しこの病院にいてもよいと思ったくらいだ。スタッフの人々の気持ち良い働きぶりや患者への気遣い、声掛けなどを見ているだけでもうれしかった。

一方で、発病後に強くあった退院後の生活への気負いが薄れているのを感じる。二度とも麻痺が軽かったことの幸い、だからこそこれからの人生は魂の浄化を第一に思って、徹底的に生活を管理していこうという思い。もちろんその思いが消えたわけではないが、「しっかりやれよ、ともう一度だけ与えられたチャンスなのだ」という意識が当初のように強くはなくなっているようだ。発病前以上に、これをやりたい、あれをやりたい、あるいはあの本を読みたいといった欲も出てきている。これはこれで、平凡な人間のどうしようもない心の動きなのだろう。

ブログを書いていていいなと思うのは、二度も軽い麻痺で済んだことへの感謝の思いを書いた自分の文章を読み直すことができることだ。その思いが薄れてきたら何度でも読み直そう。しかも、こんなブログでも見ず知らずの人が読んでいてくれていて、時々コメントをくれたりする。入院中にもいただいたし、今日もいただいた。

脳梗塞で二度入院し、いずれも軽い麻痺で職場復帰できるということが、私にとって何を意味しているのか。その重い意味をずしりと受け止めよう。二度目は自分で動けなくなっていても不思議はなかった。普通の生活ができる命を「いただいた」のだと受け止めなければ、申し訳ない。「いただいた」命として生き、その生き方を報告しなければ、このブログを続ける意味はないのだ。


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