本の整理をしている。かつて読んでもう読まないだろう本だが、捨てるに忍びずとっておくと家の中が本だらけになってしまう。それでやりはじめたのが、読んだ時にマークした大切なところだけ切り取ってノートに張り付けて残りは捨てるという方法である。これが意外と時間がかかり、遅々として進まない。しかし、この整理方法自体が、かつて影響を受けた本をもう一度ざっと振り返るいい機会になっている。
押入れの段ボール箱を開けたら、紀野一義の本が十数冊出てきた。昔、およそ30年ほど前にかなり読んだ。この人の主催する「真如会」という小さな会に入会して、間近にお話を聴いたりした。岩波文庫の『般若心経・金剛般若経』の共訳者でもあるから、仏教の好きな人なら名前を知っているかもしれない。彼の本でベストセラーになったのは『生きるのが下手な人たちへ (PHP文庫)』だ。平易で心に染み入るような美しい文章で大乗仏教を語る人で、この人の本が出版されるたびに買い求めて読んでいた。
彼の本の『新法華経入門―いのち充たすことば』を整理していたら、「仏心」、「根源的ないのち」、「永遠なるものの力」等々、なつかしい言葉に再会した。これがミンデルの言葉と重なった。
ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。この「大きい力」こそ、「根源的ないのち」、「永遠なるものの力」なのだ。
私の二度の脳梗塞も、この大いなる力からの働きかけだったとしか思えない。かつて八王子のヴィパッサナー瞑想合宿で地橋先生のダンマトークの後、地橋先生から放射されるとしか思えない慈悲の波動の如きものに包まれた。その波動を地橋先生は、地橋先生を通して「仏法僧」から来ると言っておられた。これらの経験から私は、「根源的ないのち」の存在、そこからの働きかけが存在することをますます確信するようになった。
アーノルド・ミンデルの次の言葉。
「自分ひとりだけのプロセスなどはない。
私たちはみんな一緒に、ものすごく大き なひとつの場の中に生きていて、
その一部分を受け取っているだけなのだ。
だから、 私たちが感じるすべての感覚に感謝し、できるかぎり、
そのすべての感覚を活かさな ければならない。
こうなると、すべてのものが私であると同時に、
これが私だというものは何もない、といえる。」(『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』春秋社)
自分と、自分の周囲で起っているすべての出来事とは、ひとつの大きな場の中につながって、それらの出来事の一切が開花しようとするプロセスなのだ。それが「大いなる力」だ。開花するかどうかは、私たちがそれらをどう気づき、感謝し、活かすかにかかわっているのだろう。
話して学ぶ 英語・英会話
押入れの段ボール箱を開けたら、紀野一義の本が十数冊出てきた。昔、およそ30年ほど前にかなり読んだ。この人の主催する「真如会」という小さな会に入会して、間近にお話を聴いたりした。岩波文庫の『般若心経・金剛般若経』の共訳者でもあるから、仏教の好きな人なら名前を知っているかもしれない。彼の本でベストセラーになったのは『生きるのが下手な人たちへ (PHP文庫)』だ。平易で心に染み入るような美しい文章で大乗仏教を語る人で、この人の本が出版されるたびに買い求めて読んでいた。
彼の本の『新法華経入門―いのち充たすことば』を整理していたら、「仏心」、「根源的ないのち」、「永遠なるものの力」等々、なつかしい言葉に再会した。これがミンデルの言葉と重なった。
ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。この「大きい力」こそ、「根源的ないのち」、「永遠なるものの力」なのだ。
私の二度の脳梗塞も、この大いなる力からの働きかけだったとしか思えない。かつて八王子のヴィパッサナー瞑想合宿で地橋先生のダンマトークの後、地橋先生から放射されるとしか思えない慈悲の波動の如きものに包まれた。その波動を地橋先生は、地橋先生を通して「仏法僧」から来ると言っておられた。これらの経験から私は、「根源的ないのち」の存在、そこからの働きかけが存在することをますます確信するようになった。
アーノルド・ミンデルの次の言葉。
「自分ひとりだけのプロセスなどはない。
私たちはみんな一緒に、ものすごく大き なひとつの場の中に生きていて、
その一部分を受け取っているだけなのだ。
だから、 私たちが感じるすべての感覚に感謝し、できるかぎり、
そのすべての感覚を活かさな ければならない。
こうなると、すべてのものが私であると同時に、
これが私だというものは何もない、といえる。」(『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』春秋社)
自分と、自分の周囲で起っているすべての出来事とは、ひとつの大きな場の中につながって、それらの出来事の一切が開花しようとするプロセスなのだ。それが「大いなる力」だ。開花するかどうかは、私たちがそれらをどう気づき、感謝し、活かすかにかかわっているのだろう。
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