瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

■瞑想合宿レポート

2004年10月28日 | 瞑想日記
◆合宿レポートを読みなおす
談話室でヨシエさんが、瞑想合宿レポートに触れていたので、書きっぱなしだったレポートを読み返す気になった。書いて何日も経っているので他人の文章を読むように客観的に読むことができた。意外とまとまりが悪かったり意味が通りにくかったりするところが多かった。手直ししてできるだけ早く「瞑想世界の旅」にアップしよう。

談話室は、左下BOOKMARKの「談話室」を参照のこと
瞑想合宿レポートは、同じく「瞑想ダイアリー」を参照、「瞑想合宿レポート」で検索できます。

◆思考へも等価のサティを
読み直して刺激を受けたこともいくつかあった。合宿後間もなくの日記にこうあった。

『これまでは、思考に移動すると慌てて「思考」とサティを入れて、知覚対象のサティに戻るというパターンを繰り返してきた。それでもサティを仕切れず、そのままの思考モードを続け、やがてサティをあきらめてしまうというパターンも多かった。そして「今日もサティがうまくいかなかった」と軽く落胆するのだ。

しかし、先週は違っていた。自転車で移動している間に思考に移る。‥‥思考を否定的に捉えず、ただ思考しているなと気づいて「思考」とラベリングした上で、知覚対象に戻るという繰り返しを、職場に着くまで行うことができた。知覚対象へも思考へも等価にラベリングできたような気がする。』

思考も含めてすべての対象に等価にラベリングするという感覚を思い出して、日常生活のなかでのサティを、新たな気持ちで真剣にやる必要があると思った。

■思考を超えた知性

2004年10月27日 | 瞑想日記
◆思考を超えた知性

自由への第一歩は、
自分の思考は、『本当の自分』ではない、と気づくことからはじまります。
そう気づくと、 『思考を客観的にながめる』ことができるようになります。  
思考を客観的にながめると、高次の意識が活動しはじめます。
思考をはるかに超えた、果てしない『知性の世界』が存在することや、
思考はごく小さな一面にすぎないことも、気づきはじめます。
 
(エックハルト・トール『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』徳間書店)

◆より広い視野
思考を客観的にながめているのが「思考する自我」でしかない、ということは充分にありうる。
いや、私の場合は、まさにそれでしかない、という感じもする。
しかし、はやり何かが違う。
ごく小さな世界の内側で思考している自分を
「小さな世界の内側であれこれ思いわずらっているだけなのさ」とながめている自分。
思考する自分の視野よりも、より広い視野からながめている自分。
思考する自分の視野が、相対化されている。

■静かに見ている眼

2004年10月26日 | 瞑想日記
昨日ひさびさにエックハルト・トールの言葉を引用した。とくに「『思考を観察する人』になってください」という言葉が私に強く働きかけた。職場の日常的な仕事のなかですべての動作や思考にサティを続けていくことは、なかなか難しいが、思考の観察、すなわち思考のサティは、少しは連続的にきるような気がする。

そして思考の観察は、思考する自分を相対化する働きをもっている。こんなことを気にかけ、あんなことを心配している自分、そんな風に愚かしくも無明のなかに生きている自分を見ている眼。この世に生きるつかのまの「時」、きわめて限定された囲いのなかであれを望み、これを気遣う思考の数々。そういう自分を静かに見ている眼。

■深淵かつ普通

2004年10月25日 | 瞑想日記
◆深淵であり普通でもある

ここに来られたら
今、この瞬間に着いたら
毎日が特別になるでしょう
毎日は同時に 「深遠」であり、「普通」でもあるのです
 
(エリエール&シーヤ・カーン『今ここに生きる力』voice)

◆これも忘れられない言葉
何気ない一瞬一瞬が、普通であると同時に、計り知れない深淵である。
なぜなら、私たちは限りあるいのちとてこの世に投げ出されて生きているから。
生きているこの一瞬一瞬が、何故という問いを超えた無限の神秘
その神秘をかみしめながら行きたいと思う。

■ただ今この瞬間を

2004年10月25日 | 瞑想日記
◆ひたすらに今もの瞬間を
どんな欲望も、『大いなる存在とひとつになる喜び』の代用品として、
外界に満足を求めることからはじまります。
この次元にとどまっているかぎり
「自由になりたい」、「さとりをひらきたい」という思いも、
『欲望のひとつ』になってしまいます。
ですから自由になる方法を追い求めたり、
さとりをひらこうと努力したりしないでください。
ただひたすらに、『いま、この瞬間』という時を、 生きるのです。
『思考を観察する人』になってください。
(エックハルト・トール『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』(徳間書店、2002)

◆忘れてはならない言葉
何かを追い求める心は、私たちにとってあまりに慣れ親しんだ心のあり方だ。
さとりを求める心もその一つ。
しかし、追い求めているかぎり、どこかで今を否定している。
今を否定して、どうしてすべてを受け入れることができよう。
何度でも思い出し、思い出しては確認すべき言葉だ。