昨日ひさびさにエックハルト・トールの言葉を引用した。とくに「『思考を観察する人』になってください」という言葉が私に強く働きかけた。職場の日常的な仕事のなかですべての動作や思考にサティを続けていくことは、なかなか難しいが、思考の観察、すなわち思考のサティは、少しは連続的にきるような気がする。
そして思考の観察は、思考する自分を相対化する働きをもっている。こんなことを気にかけ、あんなことを心配している自分、そんな風に愚かしくも無明のなかに生きている自分を見ている眼。この世に生きるつかのまの「時」、きわめて限定された囲いのなかであれを望み、これを気遣う思考の数々。そういう自分を静かに見ている眼。
そして思考の観察は、思考する自分を相対化する働きをもっている。こんなことを気にかけ、あんなことを心配している自分、そんな風に愚かしくも無明のなかに生きている自分を見ている眼。この世に生きるつかのまの「時」、きわめて限定された囲いのなかであれを望み、これを気遣う思考の数々。そういう自分を静かに見ている眼。