◆最初の面接
2日目、朝いちばんの瞑想はまあまあだったが、その後はずっと眠気が続いた。眠気だけではなく、しだいに妄想も多くなり、しかもサティが入らない。妄想そのものは前回の合宿時とちがって、半分夢のごときイメージに巻き込まれていく傾向は少なかった。もっと現実的な妄想が多かった。しかしひどい状態であることには変わりない。眠気や妄想が何らかの渇愛やとらわれ(不善心所)を反映していることは、これまでの経験からいやというほど分かっていた。しかし今回は何がどうしたというのか。神秘体験やサマーディへの執着を無自覚にいまだ引きずっているというのか。
その日、最初の面接で地橋先生がまず指摘したのは、妄想が眠気に変貌したのはエゴの巧妙さによるのではないかということだった。これまでの2回は、最初に妄想でさんざん苦しんだ。三度も同じ轍を踏むことはエゴのプライドが許さないから、妄想を眠気にすり替えたのではないか、というのだ。確かにそうだったのだろうと思う。しかし、眠気や妄想の元になっている不善心所がこれまでと同じ性質のものとも思えない。眠気の原因は何なのか。
次に先生が指摘したのは、私が眠気と闘っていることについてだった。眠気と闘わず、母親が我が子を慈しむように眠気を慈しもう。抵抗せず、否定せずにウペッカ(捨:執着から自由に偏見なく接すること)の態度で眠気を受け入れるならば、それはたちどころに消えていくだろう。ただしそれを狙ってしまえばすでにウペッカではなくなるから失敗する、と。まさしくこれこそがヴィパッサナー瞑想のかなめだろう。しかし、そう言われてやってもやはり狙いが忍び込んできそうだ。
私は、家を出てくる前に見た夢と、それを思い出すきっかけになった猫の件とをかいつまんで話した。先生は、夢の中で大統領に誉められたというのは世俗的な欲望の象徴、合宿への参加は出世間的な求道の象徴だろうと解釈した。
しかし、私が夢から受けた主観的な感じでは、大統領に誉められたことにそれほどの重要性はなかった。私にとっては、エサを請う猫と眼が合ったときにその夢を思い出したことに重要な意味があった。猫にエサをあげようと思ったことと、夢のなかで合宿への参加を遅らせてまでも使命を果たしたということはどこかでつながっていた。だからこそ猫の眼を見た瞬間、あの短い夢を思い出したのだ。
2日目、朝いちばんの瞑想はまあまあだったが、その後はずっと眠気が続いた。眠気だけではなく、しだいに妄想も多くなり、しかもサティが入らない。妄想そのものは前回の合宿時とちがって、半分夢のごときイメージに巻き込まれていく傾向は少なかった。もっと現実的な妄想が多かった。しかしひどい状態であることには変わりない。眠気や妄想が何らかの渇愛やとらわれ(不善心所)を反映していることは、これまでの経験からいやというほど分かっていた。しかし今回は何がどうしたというのか。神秘体験やサマーディへの執着を無自覚にいまだ引きずっているというのか。
その日、最初の面接で地橋先生がまず指摘したのは、妄想が眠気に変貌したのはエゴの巧妙さによるのではないかということだった。これまでの2回は、最初に妄想でさんざん苦しんだ。三度も同じ轍を踏むことはエゴのプライドが許さないから、妄想を眠気にすり替えたのではないか、というのだ。確かにそうだったのだろうと思う。しかし、眠気や妄想の元になっている不善心所がこれまでと同じ性質のものとも思えない。眠気の原因は何なのか。
次に先生が指摘したのは、私が眠気と闘っていることについてだった。眠気と闘わず、母親が我が子を慈しむように眠気を慈しもう。抵抗せず、否定せずにウペッカ(捨:執着から自由に偏見なく接すること)の態度で眠気を受け入れるならば、それはたちどころに消えていくだろう。ただしそれを狙ってしまえばすでにウペッカではなくなるから失敗する、と。まさしくこれこそがヴィパッサナー瞑想のかなめだろう。しかし、そう言われてやってもやはり狙いが忍び込んできそうだ。
私は、家を出てくる前に見た夢と、それを思い出すきっかけになった猫の件とをかいつまんで話した。先生は、夢の中で大統領に誉められたというのは世俗的な欲望の象徴、合宿への参加は出世間的な求道の象徴だろうと解釈した。
しかし、私が夢から受けた主観的な感じでは、大統領に誉められたことにそれほどの重要性はなかった。私にとっては、エサを請う猫と眼が合ったときにその夢を思い出したことに重要な意味があった。猫にエサをあげようと思ったことと、夢のなかで合宿への参加を遅らせてまでも使命を果たしたということはどこかでつながっていた。だからこそ猫の眼を見た瞬間、あの短い夢を思い出したのだ。