ちょっと渋いトコロです。。。
富士山山頂の白く輝くシンボルだった富士山レーダードーム。
<富士山実況中継編2 >でも、ちょこっとお話しましたが・・・。
「台風監視の砦」として1965年(昭和40年)から35年活躍した
レーダードームの体験型学習施設にも行ってきました。。。
富士山頂のシンボルとして登山者にも親しまれた富士山ドーム。
それは日本に度重なる被害をもたらしていた台風被害から
国民を守るとゆー気象関係者の長年の悲願でもありました。
完成からさかのぼること 6年前、
1959年(昭和34年)に伊勢湾台風が紀伊半島を襲います。
5千人以上の死者・行方不明者を出し、他に類をみない大災害に。。。
日本最高峰である富士山頂に設置すれば、
気象レーダーの探知範囲が広がり、台風を早期に発見できるようになる。
伊勢湾台風のような甚大な被害を未然に防ぐコトができるかもしれない、
そんな希望や情熱から出来たドームです。
直径9mのドームの中のレーダーは、
ビーム状に発射したマイクロ波が降水に当たって反射してくる電力を検出し、
降雨強度などの情報を得る装置。
それは設置場所の標高、送信出力、探知範囲、
いずれをとっても当時、世界一を誇るものでした。
2000年(平成12年)には「歴史に残る優れた電気工学技術」として、
国際的な電気・電子技術学会でIEEEマイルストーンも受賞しています。
ちなみに建設は「夏季の短期間にしか行えない」
「火口から吹き上がる風を読むのが難しい」などの理由から困難を極め、
NHKの「プロジェクトX」でも紹介されたほか、
気象庁職員在職時代に富士山レーダーの建設の建設責任者として
深くかかわった小説家・新田次郎の小説「富士山頂」でも、
建設の経緯が詳しく描かれています。
もっと詳しい方は、お読みになってくださいね!^^!
入り口から見える風景^^。
富士山頂の環境体験。
気温-5℃風速13mの過酷な環境を体感。
この環境での作業は大変です@@;。
富士山山頂にあった直径5mのレーダー実物が今もココで回っています。
(回ってるだけですよ~~~^^;)
1分間に2回転。歴史を感じます。。。
名パイロット・神田真三。
最後の問題になったレーダードームの運搬。
骨組みだけでも重さ620k。
(当時の日本は450kが限界!@@!)
ヘリコプター操縦のベテランだった神田氏も
決死の覚悟だったのは私でも想像できます・・・。
私1人では行かなかっただろうなぁと思うココ富士山レーダードーム館。
とてもいいお勉強になりました。
日本の歴史、また1つ発見!です。。。
今は思います。行って良かったぁ~~~^^v
新東京タワーを建設する時も楽しみですよね。
頂上で、ドーム無き観測所の姿を見てから気になって行きました。
先人の功績に感謝ですよね。
大好きですよ!
いいな~。。。
興味津々です~。。。
今は人工衛星かぁ・・・
富士山登山って大変でしょうね!!
世界遺産に登録されるようになってほしいです。
なんたって、富士は日本一の山なんだから。
このドーム館に行って感心しちゃいました。
色々なコトにそれぞれのドラマがあるんですね。
tkm2さん→コメントありがとうございます^^
遊びに来てくれて嬉しいです。
このレーダーで私たちの生活は変わったんですね。
色々な想いが浮かびました。。。
ひろしさん→この近くには地ビール屋さんもあるし
道の駅もあるし^^
富士吉田うどんを食べに行ったら寄ってみて下さいね♪
ぱきえさん→色々な方が名前挙がってましたが
この神田さん、格好いいなって写真撮ってきました。。。
そう、今は衛星の時代。
時の流れを感じますね~~~。