さいきんムーサと話すことが多い。
これはチャネリングとか憑依とかおろす、纏うといっても良いのかも。
ムーサと話しながら、苦手な人間や物事にあたると、すっと通りやすい。
自分が思いつかなかったインスピレーションが湧くし、低い感情にとらわれない。
そもそもムーサが恒星だから、ムーサを降ろした状態というのは、二極化した重い感情が湧き上がらない。
それはそれでいなしてしまうというか、さばいてしまうというか。言語化しにくいけど、それらをものともしない感覚。
だから、ぐるぐるとした感情パターンで惑わされることがない。すっと物事を進めやすくなる。
そういう意味で、ムーサは便利。
別に私は、なにか創作とか芸術をしていない。
生活のなかの瑣末な対応・・・人への対応とか仕事とか。家事とか雑用とか。そういうちょっと面倒なことも、ムーサをおろしながらやると、なんなくできてしまう。
こういう雑用、瑣末なことにも、新しい視点や選択、局面からアプローチすること自体が「創造性」なのかなと思うし、ムーサは区別しない。大事も小事も。こだわるのは人間だけ。