アルゴルとの以前の会話を読んでいて、ふと人気(人間個人や複数集団の感情、意識、無意識のエネルギー)について考えた。
自分にとっての人気で一番しっくりくるのは「操るもの」だという言葉が降りてきて、しっくりきた。
それには、カンバリアが関わっている。
カンバリアが操作、コントロールに関連しているから。
ただ、その操り方が非常に個人的な範囲でしか興味がない。
だから世間を煽ろうとか新しい流行をつくろうとか、そういうのには興味がない。世界を変革させたいとも思わない。
そもそも人間社会のほとんどは、おなじことの繰り返しで成り立っている。
逆に言えば安定している。この安定がないとほとんどの人間は恐慌状態におちいるだろうし、それでは社会がなりたたない。
人間として生きるのなら、ある程度安定してパターン化していたほうが都合が良い。
そこに流されるならそれはそういう安定のための礎になるのだろうし、いやならその川から抜け出せば良い。
支流でパチャパチャやりながら暢気に遊んでいたって良いのだ。
そう思っていると、アルゴルもそうだけどカンバリアもだいぶ悪魔だなと思う。
タロット的な意味においても、世間一般的な意味においても。
この操り方は、善行的な意味においては、川に流されるひとを釣り上げて救出する作用もある。
まあでもしないけど。