さきほどブログを書いていて気づいたのが、自分の邪魔をしてくる存在を、いちいち相手すること。
自分にとって、この人達の意見は参考にならないし、むしろ自分の意図を弱体化させる、行動することを弱めてしまうという情報に、いちいち耳を傾けたり、目を向けてしまう。
たぶんこれは、幼児から小学生くらいのころの癖で、とりあえず情報はいろいろ見聞きしなけばいけないという思い込み。
親や周囲の影響もあっただろう。
なかなかこれがやっかいで、もう社会で生きるうえでのルールや常識というものは知ったのだから、それを最低限残しておけばいいのに、いまだにそれが手放せない。
いらない情報をシャットアウトしようとすると「独断や狭量、狭い視野を形作る愚かな行為だ」とささやく誰かがいる。
その誰かは、結局自分自身。自分の側面。
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狭量だとささやく存在、自分の側面を探索してみる。
すぐ、人の影がでてくる。
それは私を嘲笑っている。「お前は愚か」だと。
でも、この存在はみたことあるし知っている。
小さいころから自問自答して自分で作り上げた自己否定する存在のうちのひとつ。
「正解です」というエンゼルさん。
さて、これをどうするか。
「簡単です。
あなたは選択するときなのです。
自分に不要な情報は捨てきる。関わらない。
自分が本当に欲しい情報、真に必要な情報は、だまっていても出会える。
今だって、そうじゃないですか」
エンゼルさんの言葉に悔しそうに顔を歪める存在。
だが、腹が決まらないのだ。
腹の奥に、「でも、そうやって情報を取捨選択して、致命的なリスクがおきたらどうしよう」という不安。
死に直結するような大きな不安。
ここまで探索して、情報をあえて捨てるということを、自分がどれだけ恐怖を感じているのか分かって我ながら驚く。
たぶん、これには集団無意識もつながっている。
確かに情報は力だ。
でも、さいきんの世の中は不要な情報が圧倒的に多い。
自分は、ガイドたちも使って、本当に必要な情報はもたらされている。
それに自分は思ったよりも情報検索能力が高い。
そうしていたら、ふと中国の軍師の姿が頭に浮かぶ。
たぶん諸葛孔明?「パリピ孔明」っぽい姿だから。
そしてその孔明っぽい人間が「情報は力だ」と言っている。
たしかに古代の中国ではそのとおりだろう。
今でももちろんそうだ。だが、情報の得やすさ、量の多さは当時とはくらぶべくもないはず。
情報は力だが、質の良い情報、自分の状況にあった情報でないと意味がない。
そういうと孔明っぽいイメージは「そうか」といって納得した。
自分のお腹に意識を向けると「必要な情報は(ガイドが)もってきてくれる。むこうからやってくる」という声。
私を嘲笑っていた存在は、ムンクの叫びみたいな顔をして消えていった。
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すると上から声がする。
ベテルギウスの「上と下を同期しよう」という声。
足をあわせて暗黒物質をイメージする。ベテルギウス、アルデバラン、さんかく座銀河(M33)がそれとペアリングする。
3つのシャクティ、クンダリニの通路して、3つの宇宙存在が関わっている姿は、トライデントみたいなシンボルででてくる。根本は3本があわさって捻れたような感じ。下記の写真にちょっと似ている。
https://ja.aliexpress.com/item/4000854638219.html