なんども同じことを繰り返すひとに仕事で出会う。
「めんどくさい」とかんじる。
これについて探索してみる。エンゼルさんが見える。
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同じことをくりかえしているように見える。
「でも、それって私の視点からだけだよね」
- ええそうですね
「それって、私の位置視点からの勝手な判断だよね」
- でも、その勝手でいいのでは?
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だれしも、自分の都合のよい側面、勝手によって視座をえらんでいる。
選択している。
自分は変化を愛する。
変化しないものを愛する時、その変化しないもの、繰り返すパターンを愛している。
嫌なパターンは変えている。
愛することが出来るように。
好きなものになるように。
嫌なパターンを繰り返し
また同じような失敗を繰り返し
その嫌な感情に没入している人は「面倒くさい」と感じる。
別に、それでいいのでは?
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面倒くさい人を相手するのに
お金なりなんなり、対価を必要とする。
その対価に見合う働きだけすればいい。
痛い目にあわないとわからない
痛い目にあってもわからない
そういう人は、自分が「変える」と本腰をいれないと変わらない
本腰をいれるのは、あくまでそのひと自身。
だから、自分は適当につきあえるところまで、つきあうところまででいいし
なにも対価をもらっていないのに、付き合う必要性は全くない。
だから自分を変える必要はない。
「めんどうくさいひとだ」と評価を下す自分を変える必要はない。
だって本心だもの。
ずっとずっと同じ失敗を繰り返して没入している人は、好きに埋まらせておけばいい。