アルゴルと時間について会話。
アルゴルと、私の非常勤ガイドのアルゴルはちょっと違う。
別の側面が混じってる。白黒なかんじ。
あえて分ける必要もないけど、分けたいと思った時は非常勤ガイドのアルゴルを「アルゴルおじさん」とでもよぶ。
別の側面は、あしながおじさん、エネルギー配りおじさんなので。
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「さっき、地球に物質的肉体をもって生きているには、一方的にながれる地球時間に従う部分もあるといっていたけど」
「そうですね。
地球時間を"時間"、そうではない、一方的に流れておらず、自分が任意で選択できる時間を"非時間"とここでは定義しましょう。
意識が<非時間>に至るのは、非常に重要なことです。
この思想に至ることで、多くのことを成し得ます。
キリストのみわざ、奇跡、現世の願望実現。
生まれつきであれ後天的な努力や習慣や工夫であれ、その人なりの<非時間>の境地にいたるその途中経過すらも賞賛されるべきもの。
そう捉えています。
非時間というのは、そうですね、<今、ここ>の隙間をこじ開ける意識段階でもあるといっていいでしょう。
いま、この瞬間に、全ての事象や可能性がある。
非時間の意識は、隙間をこじあけて、<今、ここ>にそれを具象化、召喚する。
そういったものです。
で、いちいちその時その時具象化が必要なこともあれば
ふわっと、意図を設定することで、<時間>てきに長期的に隙間をつくるという手もあります。
それは、人によって、またケースバイケースで適性が違います。
あなたの場合は、表の仕事ではその場その場で<非時間>の場をもうけながら、<時間>でも解決するという、二面性をもっていたほうがスムーズでしょう。それが、物質的な人間には、一番印象が強く残るのでね。
でも、そうではない、例えば占いとかそれに連なるほうでは、別に<非時間>的なアプローチだけでもほぼ問題ないです。
あと、意図設定の場合は執着しすぎないためにも、あまり何度も<非時間>を作って早く叶えようとしないほうがいいですね。
それをすると、逆に「私は叶っていない」ということを行動で示します。結果的に、行動が意図を汚す」
「時間って、低次エーテル体とか、西洋占星術のホロスコープでいう「月」?」
「まあそう考えるのが妥当でしょう。
月は吐き出すと、<非時間>になりますけどね」
「そうなんだ」
「月と同一化し、月の機械的なプログラムに従って生きてきた人間が、自己に同一化したプログラムを認識して客観視するというのは、実は大きな変化、チェンジ、移相なんですよ。
だから西洋占星術でいえば「月」「かに座」が意味する事には深い注意が必要です」
「ああそうか、ICにも関係するから、集団無意識に否応なしに巻き込まれていたり、同一化してすでにプログラム化している部分もあるのか」
「そうですね。自分個人のものではなく、集団的な月。
蟹というのは「横」です。上、縦ではありません。
自分が所属するテーブルといいますか、仲間が無意識にプログラムしている集団無意識を、自分も勝手にインストールされ、それに無自覚にしたがっていないか。
そうですね、松村潔的な表現としては「法燈明」でもいいでしょう。
もしくは地上に這いつくばった緑。
で、自分の低次エーテル体にある低い感情や、月、もしくは飲まれている不要な集団無意識を認識し、「私はこれに飲まれていたが、これは私そのものではない」と認識した瞬間、それは<非時間>になり、隙間をつくることになるのです。
かぐや姫の迎えが召喚され、地上から天に至り、地上を忘れるということは、これのことなのです」
「なるほど。
なんか、集団無意識うんぬんの話になったな」
「ちょうどかに座新月ですしね」
「茶番だな」
「予定調和ともいうでしょう」