澄みのぼる しろき月夜の 高くして たててとどかぬ 恋のたかどの
*なんだかバベルの塔などを思い出す歌ですが。
ご存知の通り、かのじょにはいくらもストーカーめいた馬鹿がつきまとい、何とかして手に入れようといろいろと策を弄していましたが、思いを遂げられた人は誰もいませんでした。
それはもう、美女ひとりを手に入れるために、高殿を建てるなんてことをした人もいたようですがね、結局は馬鹿になっただけだった。
かのじょは、手に触れられそうなほど近くにいて、今にも落ちそうなほど貧乏な暮らしをしていましたから、馬鹿な人たちは簡単に手に入れられると思ってあらゆることをしたのです。が、何にもならなかった。まるで逃げ水のように、追いかければ追いかけるほど遠ざかる。なぜそんなことになるのか。
それはかのじょの心が、まさに澄みのぼる月のように高いところにいたからです。
掃除夫の妻としてつましく暮らしながら、心は偉大なことを考えていた。国を救い、人類を救うためにはどうしたらいいかと。汚い罵倒を陰から浴びながら、心はいつも清らかな神の世界にいた。
偉大なことをなせる魂には、いつも神の加護があるのです。
人間は何も知らなかった。神が存在することすら疑い、馬鹿にしていた。目に見えないものになど何の力もないと思い込んでいた。だが本当は、目に見えない力のほうが恐ろしいのです。
馬鹿どもが陰からしたことは、ずるいことをして女性をかっさらい、みんなで好きなようにできる女にするということでした。しかしそれがかなったことはありませんでしたね。きつい例外もすぐにだめになった。見えない世界が彼女たちを守っていたからです。
へまをやったなどというレベルではない。彼らはこれから、永遠に馬鹿のしるしをつけられて、馬鹿にされるのです。未来永劫、伝説は語り継がれていく。天使を盗もうとして、高殿を何本も建てるような馬鹿をして、すべてが馬鹿になった馬鹿として、全人類に、あほうといわれるのです。
かのじょをそういう女にしようとしたからです。