なにしても 絶対おれは 悪くない 自分以外の だれかが悪い
*やあこれは痛いですね。もちろん大火の作です。こういうことはもう、くどいほど言われていることだが、こうあからさまに、こぶしをつきつけられるように言われると、みごととしかいいようがありません。
確かに、馬鹿な人というのは、いろいろなレトリックを使ってごまかしつつも、はっきりこういっているようなことをしていることが多いですね。一応形は頭を下げてあやまりつつ、心の中ではどうにかして人になすりつけて自分は逃げることはできないかと考えていたりする。
悪いことばかりしている人間は、いつも責任を取るということからはすべて逃げたがる。
かのじょを馬鹿にするために、あらゆることをやった男も女も、いまだに逃げている。責任をとるには、あまりにもやったことが恥ずかしいからです。何でそんなことをやったかといえば、悪の優位性を信じ切っていたからなのだが。まさか、もののみごとに逃げ切られるとは思っていなかったのです。
みんなで美人をいじめていたら、美人は一生懸命にそれに耐えて、清らかに生きて、人類を救える大きな一手を打ったかと思うと、何もいらぬと言って消えてしまった。
最後まで何も悪いことはしなかった。それどころかすばらしいことをしてくれた。その人に対して、馬鹿どもは、美人が欲しい、美人が妬ましいという、低レベルな欲望にからんで、すべて邪魔したのです。人類の救済を真っ向から妨害したことになった。
そんな大きすぎる罪の責任をとるのはあまりにもきつい。それゆえに、いまだに馬鹿どもは逃げているのです。自分以外の誰かのせいにできないかと。
何度も言われていることですね。くどいほど言われていることですね。ですが、この罪に真っ向からつっこんでいかない限り、永遠に言われ続けることでしょう。馬鹿どもはまだ逃げていると。
自分の方が全く悪くない、なんて人はどこにもいませんよ。落ち度などだれにでもある。だが幼稚な人は自分が馬鹿になるのが嫌なばかりに、永遠にそれから逃げるつもりなのだ。
そして逃げている限り、何にもできない馬鹿であり続けるのです。自分の方が間違っている、ということを考えることができない限り、人の進歩はないからです。