佐保姫の 岸に露とも 消えつるを とこしへの野に 咲く花とせむ
*今日は一年前のツイートから持ってきました。
「佐保姫」はもう知っていますね、春の女神のことです。わたしたちの歌では、ヴィーナスやそれに準ずる女神のことを言い表したりします。
表題の歌は、ボッティチェリの誕生のヴィーナスの絵に添えて詠われていました。
ヴィーナスの女神が、岸にたどりついて露のように消えてしまったのを、永遠の野に咲く花としよう。
もちろんこの歌はかのじょのことを意識しています。人間世界に美しい女性として生まれてきて、ぞんぶんによいことをしようとしていたが、それはある程度なんとかなったものの、結局は露のように消えていかざるを得なかった。現れては消えてゆく泡のように、かのじょははかなく消えていった。
あれほど人類に尽くしても、何も報いはなかったというのに。それどころかあまりにもひどい仕打ちを受けていたというのに。
不幸なのは消えていった本人ではない。それを消してしまった人々の方だ。あらゆることをして人類に尽くしてきた霊魂を消してしまったら、残った世界があまりにもひどいことになった。春の女神が咲かせていた花が一気に咲かなくなり、世界はあまりにも寂しくなった。なんにもない。それだけでなんにもない。
生きるのがつらいのは、ほんとうは愛のために生きていたからです。その愛を、人間は消してしまったのです。
人々はヴィーナスなんてものは美しいだけの馬鹿だと思い込んでいた。だがそれがいなくなった時、どれだけ世界がつらいものになるかを、初めて知った。
もう永遠に帰っては来ない。そして女神は永遠の花になる。
すべてを愛で救ってくれた女神を、人間は永遠に恋していかねばならなくなったのです。