備中松山城から坂道を降りてきた私は、武家屋敷を見にいきました。備中松山藩は1774年(延享元年)から、板倉家が支配していました。その家臣の家です。
下の写真の旧埴原家住宅は、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役を勤めていた武士の住まいだそうです。
江戸中期の建築だそうです。家の中は、かなり質素でした。
旧埴家住宅のすぐ傍に、別の武家屋敷も有ります。旧折井家住宅です。こちらは、二百石取りの家臣だったそうです。なので、少し立派な建築物になっています。
中に入ると居間の所に3人います。
こちらは、台所です。
台所からすぐの所は、畳ではなく、蓆が敷かれていました。
奥座敷は、さすがに格式が高いです。
ここには、資料館が有り、鎧、兜や火縄銃等が展示されていました。
武家屋敷から備中高梁駅に向かって歩いていくと、教会が有りました。トップの写真です。
1889年(明治22年)に建築された、高梁基督教会堂です。バルコニーや鐘のある部分等、素敵な建物になっています。
さらに歩いていくと、高梁市郷土資料館が有りました。
旧高梁高等尋常小学校の本館だそうです。こちらは、1904年(明治37年)に建築されたそうです。現在は、資料館として、江戸時代から昭和初期までの生活用具等、3000点を展示しているそうです。時間が有れば、寄ってみたかったです。
こうした古い建物の有る街は、私は、歩いていて本当に楽しく、疲れを感じません。高梁市は郵便局訪問で来ることになるでしょうから、その時にまた、街を味わってみたいです。