5月20日(土)、神戸空港からポートライナー三宮駅を降りた私は、北野坂を上がっていきました。久しぶりに神戸の異人館を巡ってみようと思ったからです。前に私が行ったのは、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の前であることは間違いありません。
北野坂を登って行くと、ダルビッシュミュージアムが有りました。
何故、神戸にあるのでしょうか?
坂を上がり、北野天満宮に出ました。
左に進むと風見鶏の館に着きました。トップと下の写真です。
風見鶏の館の前は、北野町中公園になっています。その中の北野町広場では、大道芸「猿廻し」が行われていました。
風見鶏の館は、屋根に下の写真の風見鶏が載っているからです。
そして、何よりこの建物を有名にしたのは、1977年(昭和52年)秋から翌、1978年(昭和53年)まで放送された、新井晴美さんが主演したNHK朝ドラ「風見鶏」でした。私も見ていました。
ドラマは、大正時代に実在していた、ドイツ人パン職人のハイリヒ・フロインドリーブさんをモデルにしたものでした。ここの風見鶏の館の住人では無いですが。
この風見鶏の館に暮らしていたのは、貿易商を営んでいたトーマス夫妻と娘のエルザさんでした。1905年(明治38年)に風見鶏の館は完成したと推測されているそうです。
娘のエルザさんが、ドイツの寄宿舎に入ることになり、一時帰国中、第一次世界大戦が勃発。一家は日本に戻ることができなくなり、建物は大日本帝国に没収されたそうです。
ドラマをきっかけに、エルゼさんが生きていることがわかり、1979年(昭和54年)4月に65年ぶりに戻ることができたそうです。その前年、1979年(昭和53年)に風見鶏の館は重要文化財に指定されています。
内部はおしゃれです。
暖炉の上にトーマス夫妻とエルザさんの写真が載っています。
5角形の窓が素敵なのは、書斎です。
外からは、このようになります。
風見鶏の館も1995年(平成7年)の阪神淡路大震災では、被害を受けました。3本の煙突のうち、2本が建物を壊し、落下したそうです。復旧には2年2ヶ月かかりました。再開したのは、1997年(平成9年)3月だったそうです。
ここにお住まいになっていたエルザさんは、1998年に99歳でこの世を去りました。手記には、「ドイツは私の祖国であり、日本は、私の故郷である。」と書かれていたそうです。