しなしなの記録

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昨年の7月5日(日)、栃木県栃木市で多くの琺瑯看板を見つけました。農業関係の琺瑯看板はこれまであまり見たことがありません

2021-07-09 21:23:29 | Weblog

 昨年の7月5日(日)です。日光東照宮に行った後、栃木県栃木市に行き、街を散策しました。古い建物が多く残る街で、歩いていてたいへん楽しかったです。

 その中で、多くの琺瑯看板を見つけました。
 まずは、セキネ自転車さんです。

 

 1923年(大正12年)に関根忠蔵氏が創業しています。1980年(昭和55年)に「セキネ自転車㈱」に社名を変更しています。その頃の琺瑯看板でしょうか。東京荒川区に工場が有ったそうです。その後、1983年(昭和58年)に三和自転車㈱となるも、2008年(平成20年)に倒産したそうです。


 次は、あまり馴染みのない、農業関係の琺瑯看板群です。トップと下の写真です。

 

 一番大きい、四角いのが、「ヤマコ飼料」です。茨城県神栖市のヤマコ飼料㈱さんのものだと思います。1876年(明治9年)の創業だそうです。1930年(昭和15年)に㈱小山商店、1931年にヤマコ飼料㈱になっています。しかし、2003年(平成15年)に飼料メーカーから撤退しているようです。

 青いのが、「片倉の配合肥料」です。現在の片倉コープアグリ㈱さんでしょうか。1920年(大正9年)、大分市に日支肥料として創業され、1950年(昭和25年)に片倉肥料㈱となっています。その後、片倉チッカリン㈱となり、コープケミカル㈱との合併で、現在の片倉コープアグリ㈱になっています。

 一番小さい、「日東肥料」は、現在の日東エフシー㈱さんでしょうか。1952年(昭和27年)創業の会社です。

 「加燐硝安 旭化成」は、上の写真の門扉の中にも有ります。「加燐硝安」は、1960年(昭和35年)に販売開始されています。
 1908年(明治41年)に日窒素肥料が設立され、日窒コンツェルンと呼ばれる化学工業の財閥が形成されます。しかし、戦後、解体され、旭化成工業㈱等になり、現在に至っているようです。


 最後は、お馴染みの「金鳥」、「キンチョール」、「金盃」と「金」ばかりの琺瑯看板が集められている所が有りました。

 
 
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