しなしなの記録

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東京には何度も行きましたが、皇居に初めて行きました。2月23日の天皇誕生日でしたが、一般参賀は新型コロナで行われていません その2 桔梗門、坂下門、皇居正門、桜田門

2021-04-29 21:33:23 | Weblog
 
 2月23日(火・祝)の天皇誕生日に皇居に行ったときの続きです。


 私は東御苑の所まで行き、再び、桜田巽櫓の所に戻って来ました。

 


 少し進むと、奥に桔梗門(内桜田門)が見えました。

 

 

 桔梗門は本丸に登城するための門です。大手門も同じ目的ですが、大手門の利用は大名であり、旗本や商人はこちらの桔梗門を利用したそうです。高麗門と渡櫓門という二重の門による枡形門という形式だそうです。1614年(慶長19年)に築造されたそうです。
 一般参賀では、この桔梗門から入るそうです。

 この辺りの石垣は、1620年(元和6年)頃に築造されたそうです。

 


 そして、奥まった所に坂下門が有りました。

 

 

 この坂下門も、元々、桔梗門と同じく枡形門だったそうです。1887年(明治20年)に高麗門が撤去され、渡櫓門を現在の位置にしたそうです。「坂下門外の変も有ったな。」と思いだしました。1862年(文久2年)に水戸浪士に老中安藤信正が襲撃された事件です。先週のNHK大河ドラマ「青天を衝け」でもその場面が出てきました。
 坂下門の外は、西の丸下と呼ばれ、老中の屋敷が有ったそうです。1877年(明治10年)以降、皇居前広場として整備されたそうです。

 

 

 枯れた芝と緑の松のコントラストが美しいと思います。天皇誕生日の一般参賀が行われていれば、ここに多くのお祝いする人が集うのでしょう。新型コロナが早く治まってくれることを祈ります。


 そして、二重橋の有る皇居正門の所に来ました。トップと下の写真です。

 

 解説版を見て、何故、二重橋とよばれるか、とんでもない勘違いをしていたことに気が付きました。

 

 私は、「石橋が2径間だから二重橋と呼ばれるのだろう。」と思っていましたが、全くの間違いです。実は正門石橋と正門鉄橋が架かっており、鉄橋は以前は木橋で有り、橋桁を支えるためのもう一つの橋が架かっており、二重の橋だということで「二重橋」と呼ばれるそうです。


 正門を過ぎるとお濠に何故か、白鳥が一羽いました。

 


 そして、私は桜田門に達しました。

 

 

 それにしてもでかい門です。枡形門の渡櫓門です。枡形門は防御に優れた門だそうです。西の丸の防御のため、このような異例な大きさの門にしたそうです。320坪も有るそうです。現在の門は1663年(寛文3年)に再建されたものだそうです。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災では、破損しました。それを復元したものだそうです。
 
 下の写真が、高麗門です。

 

 

 1860年(万延元年)には、この門の外で、大老井伊直弼が暗殺される桜田門外の変の舞台となっています。
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