カンボジア日記  ゆめきの日々

カンボジアの情報と、世俗・慣習・文化
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オンニャウ・タウン・サラットが、4月17日に逮捕されました。

2015-04-24 14:20:34 | オンニャウ・ケゥ(カゥ)・サラット関係
6発の弾丸

○重要犯罪事案として、国際手配中の首謀者がベトナムで逮捕され、カンボジアに移送され4月17日カンボジア国境で正式に逮捕されました。
数日間、新聞紙面のトップを飾る内容で、事件の一部始終説明が記述されてました。

首謀者の名前
オンニャウ・タウン・サラット
今回の逮捕で、各新聞は名前を「オンニャウ・タウン・サラット」で統一していますので、以前の新聞ごとにバラバラだった名前の「オンニャウ・ケゥ・サラットとかオンニャウ・ケウ・タウン・サラット」の名前は不使用としますので、以前の記述と同じ名前ではありませんが同一人物です。

オンニャウ・タウン・サラットは、当初からベトナムに逃亡したはずと記述していましたが、今回の逮捕でベトナムに居たのが証明されましたから、ゆめきの記述予測は的中です(笑)
日本人の陰口
そんな話は、「カンボジア人なら皆するよ」とお考えの方は甘ーいですよ。(笑)
カンボジアの人々は、中国人的思想なので「何処にいるのか知らない」と回答するはずですから、質問しても具体的な逃亡先については知らないを連発されたはずですし、質問をすると嫌悪感を表現する人々も多いので、中々質問しにくい話だったと推認しています。

事件概要
2014年に、夜7時半ごろオリンピックスタジアム向かいにある果物屋に被害者が立ち寄った時、バイクで追跡していた暗殺指令を実行する4人の男が近寄り、一人の暗殺者が計6発の弾丸を身体に打ち込み即死の射殺を実行しました。
私が事件を報道で知った時に、最低6人以上の協力者がいて、内2名はトュクトュクドライバーと判断してまして、知り合いの方に考え方を説明した事がありますけど、意味が伝わったかどうかは不明です。
当該場所は夜間でも交通量が激しく、暗殺者の45口径弾丸が被害者の身体を抜けて通行中の人々に当たる確率が高いはずですが、事件の時は皆無ですから「何かがオカシイ」と考えました。
簡単に言うと、歩行者の行動を制限する人々が居て、更に車両の行動も制限する処置が講じられていたはずなので推理を合理的説明すると、道路の通行に関してはトュクトュクドライバーが道路上で転回を強行実行して車両通行を分断して妨げ、残る人員で歩行者を隔離させて射殺を実行したという事になります。
2ヶ月程度後に、私の予測と同様な処置が歩行者に対して講じられた凶行写真が新聞に掲載されましたので、現実的には同一写真を司法当局は所持していたという事なので、暗殺実行者の4名逮捕まで何故に日時が必要だったのかという事です。
○新聞掲載された写真には、2名の男性が両手をヒロゲテ歩行者を規制しているのですが、規制している人物は防犯カメラに素顔が動画で映像が残っているので、遠目でも暗殺協力者と認定可能ですし、以前から暗殺実行の噂が絶えなかったオンニャウ・タウン・サラットの個人 body-guard ですから、写真を見れば直ちに判別可能な筈です。
★昔は逮捕されなかったと思いますが、今回は首謀者も含めて関係者が逮捕されました。

新聞には発表されなかった部分
オンニャウ・タウン・サラットは、手配中なのにプノンペンに出入りしていまして、2015年1月と2月にはベトナムとカンボジアを相当頻繁に出入りを繰り返しています。
彼には、最初に婚姻する嫁さんの前に付き合いをしていた女性との間に男子誕生がありまして、当該女性との間には数人の子供が居ますから、養育すべき子供の数は何人なのか判りません。
1月から頻繁プノンペンに来ていたのは暗殺を実行した後始末の為だと推測していますが、彼が此の後にプノンペンとホーチィミンを結ぶ乗合急行バスの発着所を手当てして完成させ他後に逮捕されましたから、1月と2月に頻繁に出入りを繰り返していました。
儀装の為と推測される風体ですが、彼の頭髪は「真っ白く綺麗に染め上げられていましたけど」遠目でも新聞の当該人物と言うのが誰にでも見分けがつきまして、「あれ?」警察官は?
この事実については、少なくとも100人を超える人々が現認しているはずですが、当地は昔から政争の争いに巻き込まれて得をするケースが無い事を過去からの教訓として身に付いているので、私を含めて警察に通報しようとする認識はありません。

○警察に事実関係を通報しても、邪魔扱いされて「適当にアシラワレル」公務員共通の法則があるので、公務員保護法則は法律よりも優先されます。(笑)


公務員保護法則の説明
日本国内でも、1980年代程度までは公務員の不祥事は部外に漏れる事は稀な話であり、上位の官僚が関与する不祥事の案件が不祥事として報告される事例には必ずかん口令という指示が暗黙で闊歩します。
平たく説明すると、警察官が交通違反で摘発された場合には身分を明かし確認が取れれば部内でもみ消しの工作が公然と採用されており、不祥事が煩くなった後でも同様の話しが列挙されてますので、もみ消しの仕方が時代の対応に変化して、本人は身分を明かさないで後から上司が代行取り消し工作に関与する手法です。
この事実を一般市民が知ったとしても世に訴える手段がありませんので、公然と部内の話として処理され続けていたという事です。

カンボジアに当てはめると、オンニャウ・タウン・サラットと被害者は共に官僚と言う立場に位置する出世頭の★★二つの中将ですから、あらゆる部分で政敵と言う解釈をした方が正しい認識と思う。
同一立場の二人ですけど、CPPとの政治的繋がりが無ければあり得ない立場に出世しているので人間関係・金銭関係・交友関係も複雑なはずでして、このような人物が凶状持ちで指名手配されていたとして自己の目の前を通り過ぎても、カンボジアでは関与しないのが賢い選択と考えられていますから、ある種公務員の気持ちを用法として利用する方が自己にとっては都合がいいとされています。

○無関心を装い、見たら「自ら当該人物を避ける」場所に移動する。
この手法は街場でも多く散見されまして、交通違反で交通の邪魔になる車両の駐車車内に【制帽】をフロントガラスに置いときますと、注意すべく警察官が車両まで行っても制帽を現認したらその場を立ち去る公務員保護法則です。

部内保護話は1990年代の日本でもあり、部内の恥部を世間に晒さない手法は相当期間横行していた歴史ある話なので、公務員の給与だけが改善されても内容は改善されなかったと言う事ですから、同一話をカンボジアで批判する事は不可能です。
もし、50年後なら批判の対象になるかもしれません(笑)


此の後について
殺害犯人達が、オンニャウ・タウン・サラットの約束した金額を逮捕されて数ヶ月間受け取れずに居ましたら、昨年の12月下旬頃に不満を募らせ一方的に仁義解消で自供を始めましたが、1月に入ると自供の報道は皆無になりまして、以後に自供の報道は有りません。
下世話に推測すれば、オンニャウ・タウン・サラットは暗殺者達の家族に報酬を支払ったという事が想像できるので、家族を経由して犯人達に支払いの事実がもたらされたという事ですから、仁義の解消を改めて解消し、当初の約束である仁義継続が約束されたと解釈しています。
言葉には出さなくとも誰でも容易に想像可能な事柄ですから、1月2月にオンニャウ・タウン・サラット自身が大手を振ってプノンペンの街場に出て来た事と無関係ではない筈。
オンニャウ・タウン・サラットは、高校生の男子が居る1等親内の家族の下で数日間過ごしていましたけど、ベトナム系の人々は事実を知っていますし外国人の私も知っているので、公然とした生活を楽しんでいたという事です。(笑)
全ての段取りが終了した筈との解釈がありますが、内容は不明で聞けません(笑)
当該女性家族は以前と同じ商売継続をしています。
オンニャウ・タウン・サラットが裁判については、今までの事例ですと「裁判の内容が公開され報道される事も無い」ので、数年の後に闇夜で「スパット」されると思う。
当地は、政敵が政争で敗れ去ると、逮捕された場合は生きて出られないのが当たり前ですから、多くの政治家が政争で敗れたら直ちに国外逃亡がありまして、過去には数えきれない国外逃亡事例があります。
コメント
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