2011年のエジプトが、歴史に残るとは夢にも思わず
その渦中の人になるとも思わず
まずは旅の終わりから
祝福の意味の名前を持つムバラク大統領は、
民衆につぶされ、民衆はそのことを祝福した。
「エジプト全土で大規模デモ」
世界中が書きたてた血なまぐさいエジプト
私は、エジプトに居ながら、そうした光景を実際に目にしていない。
こうして、部屋にかぐわしい薔薇を飾り、
悠久の時の流れは、ナイルと共に変わることなく静かであった。
活けておいた薔薇の花びらを、
ひとひら、ひとひら、手に取り、
ハンカチに包んでバックに収めるのが、帰国前の最後の優雅な時。
空港で、
続く旅先で、
帰国してから、
薔薇の匂いは、旅の思い出の封印をつかの間解く
今年の薔薇は、大輪でいい匂いの薔薇。
大きなデモのあったシェラトン前のいつもの花屋で買った薔薇。
この花びらは、特別な意味をもって、
私の思い出の引き出しに眠るかもしれない
そう、カイロは確かに大変であった。
でも、花は売られ、花を愛でる余裕がすぐに戻ってきた。
エジプト人は温厚で争いを好まない。
そして、自分の国を母と呼び、恋人と呼ぶ人たちである。
自分の母や恋人を傷つけたい人が世界のどこにいるというのだ?
エジプトを怖い国とは思わないで欲しい。
愛しい、愛しい自分の国だからこそ、自分たちで何とかしたい
それがデモになった。
祝福という名の人の退陣は望んだが、
誰も国から出て行けとは言わなかった。
それは、その人もエジプトを愛する人だから。
ナイルの水を呑む者、ナイルに還る
中東を覆う不穏な黒雲が早く去りますように…
砂漠の国には、雲ひとつない、真っ青な空が似合うのだから
私の見たエジプト2011、1、25はこちらをご覧ください