日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

高齢者の地方分散を考える

2015年03月11日 10時17分01秒 | 日々雑感
 厚労省は、平成27年度より介護報酬を全体で2.27%引き下げる。理由は、全国の特養(特別養護老人施設)の収支差率は8.7%と高く、中小企業の2.2%を大きく上回り、儲け過ぎとの判断があるからだ。しかし、これは全国平均の話しであり、地方と首都圏での格差が大きいようである。すなわち、東京23区内の12年度の収支差率は4.2%であり、更に都の補助金を除けば1.3%まで下がるのだそうだ。これは、首都圏は施設の建設、維持管理等にお金がかかる上、介護職員の人件費が高いからだ。
 一方、例えば、宮崎県の場合、20歳代半ばの女性職員の月収は約20万円であり、ボーナスを含めた年収は約320万円だそうだ。東京だと低い賃金が宮崎では一般の事務職より高くなるとのことである。昔から役場、農協、福祉施設は優良企業と言われ、そこへの就職は安定した生活が保証されるのでやめる人も少ないそうだ。
 75歳以上の高齢者の人口はこれから大都市で急増していく。こうした先行きをにらみ、地方の介護業者は大都市を目指す。昨年都内でオープンした特養21施設のうち」11施設は地方の社福(社会福祉法人)が運営する。地方で儲けた金を元手に大都市で更に増やそうとの商魂を勘繰りたくなるが、前述のように運営は甘くなさそうである。実際当初の計画を縮小した社福もあるようだ。
 今年1月31日投稿した私のプログで介護報酬引き下げに関し意見を記した。そこでは、大都市と地方の格差を意識していなかった。「団塊の世代がすべて75歳以上になる2025年に介護職員が全国で30万人不足する」との新聞記事を受け、無認可の施設の増加等の懸念を述べたが、これは大都市周辺に限られるようだ。若者は職を求めて大都市に集まり、そのまま居付く為に高齢者が増える訳だ。引退した高齢者が地方に分散すれば介護に関する問題はかなり和らぎそうである。
 近頃、地方都市のコンパクトシティ化が話題となっている。その狙いの一つは、地方都市の近隣に点在する過疎地域の住民をなるべく近くに住まわせることにより、行政サービスの効率化を図ることであろう。このため医療施設、社会福祉施設、教育文化施設等のコアとなる施設を集約して配置するとともに、その周辺に居住地区を配置する構想である。そこに首都圏の高齢者を招き入れることは出来ないであろうか。過疎地域の住民が移り住みたい町と首都圏の住民が移り住みたい町は矛盾しないはずだ。
 人口減少の著しい地方都市は、町の中心部のシャター商店街が目に付くイメージである。このような町をどうやってコンパクトシティとして再構築するか大問題であるが、今後の介護問題を解決する一つの方法ではなかろうか。(犬賀 大好-110)

ODAにおける国益とは

2015年03月07日 10時06分50秒 | 日々雑感
 安倍内閣は、2月10日、今のODA(政府の途上国援助)大綱を見直し、今後の海外援助の基本方針を示す「開発協力大綱」を閣議決定した。骨子の一つに、我が国の平和の維持・繁栄の実現といった国益の確保に貢献との文言がある。これまでの基本方針には国益との言葉は無かったが、今回初めて登場した。
 ODAと言えば、これまで途上国の貧困からの救済が目的で,教育や医療などが主であった。そのお蔭であろうか、この20年で極度の貧困者の人口は半分になったそうだ。その結果、途上国の貧困救済から経済活動を活性化の傾向が強まり,インフラ整備等が重視され、国益が前面に出てきた。途上国の経済発展は援助する側の経済発展に即繋がるからである。
 リーマン・ショック後、途上国を新たな市場と見る民間の投資や貿易が増え、その額は政府の援助資金の2.5倍になっているそうだ。先進国の経済成長の行き詰まりを途上国で打開しようと言う流れである。この流れは、日本だけではなく、中国を筆頭に欧米各国も続いている。政府の援助資金が民間企業に流れる問題や世界全体が開発に走ったら地球の資源は持たないとの批判の声もあるが、資本主義の下では自然な流れであろう。
 貧困対策は経済発展と密接な関係がある。経済的な自立無くして、貧困からの脱出は出来ない。経済的な自立のためには、経済発展が必要である。この点で、日本の経済協力大綱でも、途上国の経済成長を応援して貧困を減らす方針は、あながち間違いではない。
 OECD開発援助委員会議長エリック・ソールハイム氏は、この10年途上国のインフラ開発にもっとも貢献しているのは中国であると指摘している。一見結構な話と思うが、中国はインフラ工事に関わる労働者を中国から連れて行くそうで、その国の経済の底上げにはそれほど貢献していないらしい。インフラ整備の結果として、その国の貧困が一時的に解消されても、インフラの管理や維持まで中国が牛耳ることになれば、経済的な自立への道は遠くなり、いずれ国民の不満が高まり、社会の不安定化に繋がっていくであろう。
 純粋に人道的な援助をやり続ければ、それが本当の国益になる、との国際協力NGOセンター理事長;大橋正明氏の意見はもっともである。しかし、日本のインフラ整備等の経済支援も、その国の将来の自立に繋がるように行うことが出来れば、大いに結構と思う。しかし、教育に対する支援は従来にも増して行うべきである。いずれ国を支えるのは若者であり、経済的自立のためには人材が必要であるからである。(犬賀 大好-109)

大学への希望者全員入学を考える

2015年03月04日 10時14分58秒 | 日々雑感
 文部科学省の統計によれば、平成23年の大学定員は57.8万人であるのに対し、入学者数は61.3万人で6%定員を超えた人数が実際大学に入っているようだ。某大学教育ジャーナリストの見解によれば、学部在籍者数が20%定員超過しているのは、東京の有名私立大学では当たり前であるとのことだ。同じ年の大学入学志願者数は67.5万人であったので約10%の人が大学に入れなかったことになるが、20%を定員超過して入学させることも可能であれば、全国各大学が定員10%超過くらいは受け入れることが出来るであろう。すなわち希望者全員入学可能になるわけだ。しかし、これは全国平均での話であり、現実には若者の大都市志向は強く、地方の私立大学の定員割れ問題は深刻のようである。定員がきちんと守られれば地方の私立大学の定員割れ問題は解消するはずとの先のジャーナリストの意見ももっとものようであるが、地方の大学の魅力があってこそである。
 総務省統計局の調査によれば、2014年の人口移動について、転入が転出より多かったのは、東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)が主であり、人口集中は相変わらずである。恐らく移動しているのは、学生を含む若者がほとんどであろう。大都市は、仕事の機会が多いばかりでなく、若者を集める魅力、誘惑に溢れている。
 政府も地方の活性化を狙っているが、そう簡単なことではなく当分大都市集中は続くに違いない。来月開業予定の北陸新幹線も地方への観光客の増加には役立つであろうが、人口の大都市集中を一層促進するだけであろう。就業者の大都市集中は避けられないとしても、学生の地方分散は何とかならないであろうか。
 少子化の流れを受けて、地方大学に限らず大学の志願者集めは激しい。そのため、大学の特徴を出そうと知恵を絞っているが、情報科学、生命科学の推進や国際化に対応等似たり寄ったりである。地方大学の厳しい点は、更に卒業後の就職が難しい点が更に加わるが、最近は大都市で就業するのではなく、世界を股に掛ける時代である。
 そこで就職は世界に飛び出すことを前提にした特徴ある大学が運営できないであろうか。そこでの入学の条件は大学での生活はすべて外国語で行うことに耐えること位にして欲しい。入学当初全く外国語がチンプンカンプンでも、生活するのに困れば必死に学ぶはずだ。学校周辺には誘惑が少ない地方大学でしか出来ない。今の文系の学生は、大学においてはマージャン等の社会勉強が大半であり、時間を無駄に使っている。“若いときの苦労は買ってでもしろ“の名言を実践する大学が現れないものだろうか。-少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず-(犬賀 大好-108)