日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

大学は何のためにあるか

2015年03月14日 09時38分39秒 | 日々雑感
 3月4日朝日新聞 オピニオンで、文系学部で何を教えるかに関し、2氏の意見が出された。
 経営コンサルタントの冨山和彦氏の主張は、日本のどの大学も東大を頂点とした総合大学で似たり寄ったりである、これからの大学は、高度な資質を育てるアカデミズムの学校と、実践的な職業教育に重点をおいた実学の学校に特徴化すべきであるとのことである。
 名古屋大学准教授の日比嘉高氏の主張は、次のような主旨である。技術は日進月歩であり、実学をせっかく学んでもすぐに陳腐化する。たくさんの本を読み、膨大な学説と向き合い、時間がかかって面倒くさいプロセスを背負いこんで身に付けた教養はどんな分野に進んでも役に立つ。
 日比氏の意見も、冨山氏の意見も一理ある。両者の意見を両立させるためには、冨山氏の指摘のように特徴の無い総合大学ではなく、特徴のある大学を創ることであろう。
 そもそも、大学は自主的に勉強するところである。大学生は単に大学の教室で授業を受けるだけでなく、教室外での自主的な学修を行うことが求められ、文科省も授業外での学修も重要と指摘している。その為であろうか、特に文系のカリキュラムには自主的勉強の時間が十分用意されている。そこで、多くの学生は社会勉強と称し、アルバイトやクラブ活動、マージャン等に夢中になっている。
 大学へ行く目的は何か。大半はよい就職のためであろう。このため就職に有利なのは、実学か、深い教養か、あるいは人脈かを学生はよく計算している。今の日本においては、深い教養や実学より、教室外での社会勉強や人脈つくりの方が役に立つと判断している訳だ。この意味で、現状大学が碌な授業をしなくても、大学の役目を十分果たしていることになる。
 しかし、大半の学生がそうであったとしても、日本の将来を洞察できるような人間も必要である。このような人間には、日比氏の言う教育が必要である。そこで、社会勉強をしたい学生向け大学ばかりでなく、きちんと学問したい学生向け大学を用意することが重要となろう。その大学においては、厳しい卒業試験が待ち受けており、卒業生がまさにエリートとして認知される。(犬賀 大好-111)