日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

忖度は思いやりの筈だが、おもねりになってしまった

2019年04月27日 09時01分04秒 | 日々雑感
 辞書編纂者で日本語学者の飯間浩明氏によると、”忖度”は伝統的な言葉で、中国古代の『詩経』にも出てくる古くから使われている言葉だそうだ。日本にも10世紀からの使用例があり、それ以前に中国から入って来たものと思われ、”母の心を忖度する”などと、単純に相手の心を推測する場合にも普通に使われていたとのことであるが、優しい響きの言葉であった。

 日本の社会は農耕民族として発展してきたムラ社会の傾向が強く、そこでは言葉で表現しなくても相手の気持ちを察することが重要であった。敗者や弱者への愛情・共感の情を表す”惻隠の情”と同じようにそこでは相手の気持ちを思いやることが必須条件であるとされた。

 忖度は、相手が下位の者あるいは同位な者の場合に”思いやり”の気持ちが強くなるが、上位の者に対する忖度となると途端に”おもねり”となる。この忖度は、一を聞いて十を知る頭の回転の良さにも通じ、上の者にとって誠にありがたい部下の行為となる。

 森友学園事件以後、忖度は専ら”思いやり”ではなく”おもねり”となってしまった。上の者に気に入られようとして、おべっか、へつらい、と言う悪い意味で使われるようになってしまったのだ。

 森友学園問題の主人公である籠池氏は会見で、土地取引がスムーズに運ぶようになったのは、忖度があったからだ、と述べた。すなわち籠池氏が安倍昭恵夫人の秘書に問い合わせしたことをきっかけに、財務省の官僚が首相夫人の意向を忖度して急に動き始めた、という主張であった。

 このような場合に忖度という言葉を使うのは籠池氏が初めてか分からないが、少なくとも広く知らしめた功績は大きいであろう。しかし忖度には悪いイメージが付きまとうことになったが、言葉の意味は時代と共に変化するのはよくあることだから仕方ない。

 また、この事件を切っ掛けに、安倍一強体制の下で安倍氏の意向を忖度することが官僚ばかりでなく政治家の間でも重要な世渡り術であるとの認識が広がっていることが明らかになり、度々マスコミに取りあげられ注目されるようになった。

 極め付きは、塚田一郎前副国土交通相である。下関北九州道路は、安倍首相の勢力圏の下関市と麻生副総理の勢力圏の北九州市を結ぶ道路だ。塚田氏は、この道路建設の推進を総理とか副総理が直接言えないので、私が忖度して予算計上したと自慢げに語ったそうだ。

 この道路が、総理や副総理の威光で決まったのか、本当に必要で決まったのか不明であるが、塚田氏の発言は地元への利益誘導より自分への利益誘導であり質が悪い。

 アドルフ・アイヒマンは、第二次世界大戦でのユダヤ人虐殺事件で、親衛隊中佐として数百万のユダヤ人を強制収容所へ移送する指揮的役割を担った人物として有名である。第2次世界大戦後は人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられたが、自分の責任を問われるたび、ヒトラーの指示に従っただけだ、と繰り返すばかりだったそうだ。彼はヒトラーからの直接の命令が無くても、ヒトラーの意志を忖度しこれを粛々とこなしたに相違ない。

 この忖度する行為は、権力者の名を借りてことを行い、下位の者には自分の力を自慢し、上位の者には手柄として媚びを売ることであり、塚田氏の行為と重なる。しかし、塚田氏のみを責められない。平凡な人にも多かれ少なかれ見られる現象であるからだ。2019.04.27(犬賀 大好-541)