日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

福島第1原発事故は自然災害だったのか?

2019年04月06日 09時08分19秒 | 日々雑感
 東京電力福島第1原発事故を招いた刑事責任を問う裁判が東京地裁で先月3月14日結審した。業務上過失致死傷罪で強制起訴された元会長と元副社長2人の被告に、検察側は禁錮5年を求刑しているが、3名の被告は事故の予見可能性はなかった、と無罪を主張している。

 福島第1原発事故は東日本大震災での大地震が引き起こした大津波が切っ掛けであった。大津波で電源が喪失し原子炉のメルトダウンと繋がった。当時大津波の到来を予測していた人はいたが、大勢の意見では無かったとの主張であろう。

 少数意見を尊重し、津波対策をしておけば先見性のある偉大な指導者となっていただろうに、大勢に従う平凡な指導者でしかなかった。彼らが日本の最高学府の卒業生であったとは、最近の世界の大学ランキングでの地位低下が推し量れる。

 この原発事故の対応費用が総額81兆~35兆円になるとの試算を民間シンクタンク「日本経済研究センター」がまとめた。経済産業省が2016年に公表した試算の約22兆円を大きく上回る数値である。81兆円の内訳は、廃炉・汚染水処理で51兆円(経産省試算は8兆円)、賠償で10兆円(同8兆円)、除染で20兆円(同6兆円)であるそうだ。

 現在事故現場では廃炉に向けて必死な努力が払われているようだが、今もって事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)が何処にあるか探っている状態だ。今後の展開により費用は更に増えることも懸念される。国家予算に匹敵する費用が発生する大事故であった訳だ。

 大事故となる直接の原因は原子炉のメルトダウンであり、人間が作った建造物だ。責任は誰にも無いとは不思議な気がする。第1原発事故が誰にも責任が無いとの結論になると、この事故は不可抗力の自然災害であったと我慢するしかないのであろうか。

 事故から8年が経過しても4万人以上が住み慣れた地域に戻れない、廃炉の見通しも立っていない、過去最悪の事故である。東電の3名の被告は法的には無罪となっても、良心的呵責により一生重荷を背負って生きていかなくてはならないだろう。

 自然災害とは通常異常天候や地震が原因で発生する。昨年7月の西日本豪雨、9月の北海道胆振地方での大きな地震は記憶に新しい。このような大規模自然災害ばかりでなく、地球温暖化の影響と思われる異常高温や集中豪雨が各地に被害をもたらしており、今後も増え続けるであろう。

 政府の地震調査研究推進本部は今年2月中旬、青森県東方沖から房総沖にかけての日本海溝沿いで、今後30年以内にマグニチュード7級の地震が発生する確率は90%と公表した。東日本大震災ではマグニチュード9級であり、それより小規模であっても被害が出る恐れは十分にあり、引き続き注意が必要と警告している。

 関係する自治体は対応が求められるが、予算との関係もあり対応に苦慮しているだろう。南海トラフの大地震でも同様だが、被害の規模はシミュレーション等により膨大になると想定されている。

 対策がなされないまま災害が起こった場合、想定以下の被害であれば幸運、想定通りの被害であれば行政の怠慢、想定以上の被害であれば自然災害と言うことになるのであろうか。

 予測能力は近年向上していると思われるが、これまで大災害を確実に言い当てた例はない。更に火山噴火、特に阿蘇山や富士山の大爆発を予想する人もいる。自然災害は莫大な出費を強いるが、災害が起こる前の対策費には二の足を踏む。恐らく今日の安全は明日も続くだろうと何もしないのが人間だ。2019.04.06(犬賀 大好-535)