日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

豊洲移転に対する元都知事と元都連幹事長の責任

2016年10月29日 09時31分29秒 | 日々雑感
 東京都は東京五輪施設問題や豊洲移転問題で相変わらず大騒ぎである。五輪施設問題では、ボート会場を3候補に絞るなど、一部落とし所が見えてきたが、移転問題は混とんとしている。

 移転問題に関し、都は25日、当時現職だった石原慎太郎元知事への質問書と回答文書を公開した。その内容は、記憶にない、全く知らないで、逃げ回っていた。当初、盛り土問題では検証には全面的に協力するとの話であったはずであるが、この場に及んで忘れたとはおかしな話である。

 石原氏はディーゼルエンジン車の都内乗り入れ制限を実行し、羽田空港の再拡張を決断し、都立の4つの大学を合体させて首都大学東京を実現し、無類のリーダーシップを発揮した。一方、お台場にカジノをつくる構想、横田基地の軍民共用化、新銀行東京の設立、16年の夏季五輪招致、等は失敗に終わった。その是非はさておき、提案内容は独創的であり色々考えさせられた。

 この間、築地市場を豊洲に移転を決断したが、以前からの流れもあったようであり、恐らく本人の関心は高くはなかったようである。建物下に地下空間を設ける案を思い付きで提案したものの、その後の成り行きはすべて側近に任せ切りにしていたのであろう。

 石原氏のワンマン振りは絶大であり、意見を異にする役人はすぐに移動させたとの話であった。都の役人は自分の意見を言えず、ひたすらご機嫌取りの毎日であったろう。石原氏は個々の人事にまで細かく介入することは恐らくなかったであろうが、取り巻き連中が ”虎の威を借る狐” を演じたのであろう。

 一方都議の諸先生は何をしていたのであろうか。東京都には種々の問題があり、豊洲移転の優先順位は高くないと判断したかもしれないが、安全性の問題の他、建設費の高騰等問題が噴出している。最近、都議会のドンなる内田茂都議の存在が次第に明らかになってきた。どうも、都議連中、特に自民党の都議の動きはドンの意向に左右されていたようだ。

 内田茂東京都議は、1989年に東京都議会議員に初当選し、2005年より自民党東京都支部連合会幹事長に就任した。2009年の東京都議会議員選挙では落選したものの、自民党東京都連幹事長に留まり、2013年東京都議会議員に再当選し、現在は7期目を務め、小池新都知事登場前までは幹事長を務めていた。

 長年、都議会のドンとして君臨して居られたのも、いや現在も君臨して居られるのも、民主党のお陰だとは皮肉な話である。すなわち、2009年、民主党への政権交代が実現したが、その1カ月前に行われた都議選でも自民党に対して逆風が吹き荒れ、内田氏を始めとして自民党候補が大量に落選した。しかし、落選した議員たちも自民党都連や都議会自民党の役員にとどまったのである。そこで活躍したのが内田茂氏と言う訳だ。

 議員でない者が幹事長を務めるとは何事かと、当時の石原慎太郎都知事も加わり、石原伸晃都連会長以下、都連の国会議員は内田氏を都連幹事長から外そうとしていた。しかし、石原伸晃氏の都連会長続投を認める代わりに、内田氏の幹事長続投を認めさせた訳だ。

 東京都連の幹事長職は東京都内の選挙の公認権を持つため都議に対し圧倒的な力を有し、また業界団体に対しての影響力も強いため集金力も絶大であろう。

 民主党政権も短命に終わり、再度自民党の天下になると、これまで以上に内田氏の権力が強くなったのは、民主党の没落のお陰であると言える。都議会の大半を占める自民党都議は当然、例え都連会長であっても内田氏の意向に逆らえないのだ。従って、都議会の役目が十分発揮されなかった原因は内田氏の意向にあると勘繰ることも出来るが、都民ファーストを忘れた都議連中の責任は大きい。

 豊洲移転に対する内田茂都議の立場は明らかになっていないが、表面的には何も関係していなということになろう。先日閉会した都議会においても、豊洲移転の不始末は専ら役人にあるとの空気であり、都議の責任を追及する意見は出なかった。

 内田氏のすごいところは絶対に表面に出てこないところのようだ。財政的に豊かな東京都は利権の塊との評判である。ここに目を光らせるのが都議会の役目の筈だが、都議会が内田氏の意のままでは、この利権に関わっていると噂される内田氏を追及するなぞとはもっての外であろう。

 自民都連会長だった息子を持つ石原氏と内田氏の関係をよく知らないが、東京都の役人は恐らく両者が神的な怖い存在であっただろう。これから考えても、役人自ら建物下に地下空間を設けるなどする筈がない。2016.10.29(犬賀 大好-281)