日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

大学入試改革を考える

2015年02月15日 09時48分51秒 | 日々雑感
 中央教育審議会は、昨年末、知識量を問う従来のテストから、思考や判断など知識の活用を問う入試に改革するように答申した。具体的には従来のセンター試験を廃止し、高校基礎学力テストや大学入学希望者学力評価的なテストの複数回実施等を提案している。一発勝負の知識偏重試験ではなく複数回で評価するとの趣旨は真に結構であるが、現実を踏まえているか疑問である。そもそもセンター試験が私立大等にまでなぜ広がったかを考えると、文科省の圧力があったかも知れないが、試験する側の負担を軽減するのに大いに役立ったからであろう。また、人間による採点ミスが指摘され、機械で採点できるマクシート方式が再登場するとの話も聞かれる。マクシート方式は○か×が明確な問題に有効であり、知識の活用を問うようなアナログ問題に不向きである。
 これまでも、大学入試における知識一辺倒の弊害が指摘され、人間性の重視等色々な入試改革が提案されてきた。そもそも人間性の採点なんか出来るはずがないし、試験官の主観に左右されるところが大であり、公平性となるとはなはだ疑問である。従って1,2点の差で合否を決める現行の入試制度には不向きである。もし本気で実施しようとなれば、公平性は二の次にして、試験官の裁量に任せる試験制度にしなければならないであろう。
 そもそも、大学では、専門知識を含め自ら問題を見つけ、自分で解決する能力を身につけるところである。そのため、大学できちんと勉強できる学力があるかないかを問うのが入試であるはずである。すなわち、大学においては自主性、あるいはやる気が最重要であり、学力はその次である。センター試験で問われる「大量に覚え、短時間でうまく解く」能力は、自主性とは直接関係が無いところが問題である。
 中国や韓国における科挙の制度は全国から記憶力のすぐれた頭脳を集めるのには大いに役立ったが、余りに前例重視の記憶力偏重であったため、特に19世紀後半において世界の流れに取り残されてしまったとの指摘がある。毎年行われる韓国の大学入試試験の大騒ぎは日本でも報道されるが、試験内容は改善されたのであろうか。他国ながら気になる。
 兎も角、人間性を重視した入試改革は“言うが易く行うは難たし”である。試験方法の変更だけではなく、現行の大学制度を抜本的に変えることまで考えなくてはならない。例えば、大学入学希望者は簡単な学力試験で多人数入学させるが、卒業するためには厳しい試験を課す等である。少子の時代だからこそ可能な改革であろうが、恐らく既存の勢力は猛反対するであろう。大学による入学希望者の偏りはどうする?、途中で落第した学生の受け皿は?等である。確かに様々な課題が思い浮かぶが、10年以上かけて徐々に変化させていく経過措置が必要かもしれない。
 中央教育審議会は2~3年先ではなく、20年先を考えた方針を出してもらいたいものである。(犬賀 大好-103)