森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

カメハメハ3世像、やっとご紹介します

2019年11月23日 | 歴史


最近、天候不安定なホノルル。今朝も降ったりやんだり、時には太陽が照りつけて見事な虹が出たりと、おかしな天気でした。

その合間をぬってウォーキングに行ってきましたが、毎朝のウォーキングコースには、トーマススクエアという公園がございます。その名の由来は後で説明しますが、ここにはカメハメハ3世の立派な銅像が建っていまして…。銅像が建てられたのは昨夏のことですが、やっと今頃、ここにご紹介します。

まず、この地にカメハメハ3世の銅像が建てられた理由を説明しますと、ここでカメハメハ3世の治世だった1843年、ハワイ史上、大変重要なセレモニーが行われたからなのです。

その年、ホノルル在住だったイギリス総領事の策略により、イギリスが5カ月間、ハワイを占拠するという出来事がありました。

この総領事が「自分の土地をハワイアンに奪われた」だの「イギリス人がひどい扱いを受けている」だの、あることないことをイギリスに申し立て、その結果、イギリス海軍太平洋地区総督によってホノルルに派遣された調査官が、独断により武力による脅しでハワイ王国を占領したのですね。

ですがその後、イギリスのビクトリア女王に当ててカメハメハ3世が異議申し立てをした結果、今度は海軍総督自ら、ホノルルに来訪。改めて事実関係を調べた結果、ハワイが不法に占領されたことを宣言し、カメハメハ3世に主権を返したというのがそのあらましです。

そして1843月7月31日、主権回復を祝う式典が華々しく行われたのがここ。イギリスの国旗が降ろされ、代わりにハワイ王国の国旗があげられるというセレモニーがありました。当時、この地には、クラオカフアという砦があったためです。



その式典には、1万人近くの市民が集まり、ハワイ王国の復活を喜んでということです。

時が流れ、後に砦跡は美しい公園になりましたが、その際、ハワイ王国の主権を回復したイギリス海軍のトーマス総督の名前をとって、トーマススクエアと呼ばれるようになったのでした。

その近くにはその名もズバリ、「トーマス総督」というコンドミニアムもありますし、トーマス総督の地名度はハワイでかなり高いです。何といっても、総督はハワイの英雄ですからネ。トーマス総督が悪どい軍人であったなら、今頃ハワイはイギリスの領地だったかもしれません。

どちらかというと、カメハメハ3世像ではなくトーマス総督の銅像がここに建ってもよかったぐらいですよねー(意地悪な私!)。

このトーマススクエアは、ホノルル美術館の真向かい。美術館を訪問の際は、トーマススクエアでぜひ、カメハメハ3世像もご覧くださいませ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューヨークからの驚きのニュース!

2019年11月20日 | 日記


昨日の続きで、今日もホームレス繋がりの話題でございます。

以前から噂はありましたが、本当だったのですね…アメリカ本土の州が、ホームレスをハワイに送り出しているというのは。

地元紙に紹介されていたのですが、「ニューヨーク市がホームレスをこっそりハワイその他の州に送り出していた」という事実を、ニューヨークポスト紙がすっぱ抜いたのだそうです。たとえばあるホームレス一家については、ニューヨーク市がハワイに住居を見つけ、1年間、家賃を先払いしてあげたうえ、仕事も見つけて送り出したとか。もちろん航空券も買ってあげたのでしょう。

記事のなかでは、「それも引っ越し先の州と相談することなく、こっそりと送り 出した」と書いてありました。へえ~、そうだったのですね! そうやって自分たちの土地からホームレスを他州に移管していたなんて…。確かにハワイになら、みんな喜んでどんどん移って来るでしょうねえ。冬は極寒のニューヨークより、もちろん楽園ハワイで暮らしたいに決まっています!

あとの行先はフロリダとかカリフォルニアかしら…? もちろん、元ホームレスの方々が新天地で頑張るのなら、誰も憤らないはずです。昔、日本からアメリカに働きにやって来た移民の人々のように働き者ならば…。

でも。せっかくハワイに移っても、1年間の住居契約が切れた後はそのままホームレスに戻ってしまう人は多いのではないでしょうか? とにかく住居費が高く、反面、お給料は安めなハワイ。勤勉に働いていてもホームレス一歩手前という人が多いハワイなのに、ホームレスをわざわざ送り出すなんて!

報道によれば、すでにハワイ州副知事がニューヨークの当局に連絡を取り、これからいろいろ話し合うことが決まっているようですが…。この記事を読んで、ハワイのホームレス問題の深い闇を見た気がしました。この街は、他州のホームレスが心機一転、やり直しを図るには物価が高すぎますよ~。雷雨もありますしネ。

なんだかホームレス問題についていろいろ考えさせられた、2日間でした。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雷雨の夜に考えました

2019年11月19日 | 日記


昨夜は激しい雷雨が続き、恐ろしい夜でした~。

恐ろしい夜といっても、告白しますと、私が雷に気づいたのは夜中の3時頃でした(恥)。近くで落雷があったのか? 凄まじい雷で目覚め、それから眠れなくなってしまいました。

ですが息子によれば、昨夜は一晩中、そんなだったとか。ハワイといえども雨の夜は冷えますから、そんな夜、ホームレスの人々はいったい、どうしているのでしょう? フと気になりました。

なぜなら。ハワイでもホームレスの増加は社会問題になっていますから、街のホームレスに対する態度は冷たいものがあります(当然か…しら)。

たとえば上の写真はバス停なのですが、ベンチには一人づつ座るための仕切りが入っています。これは実は、人が寝っ転がることができないように入れられたもの。つまりホームレス対策なのですね。





バス停に限らず、最近はこのように、あちこちのスペースにホームレス対策が施されています。店のちょっとした軒下にも、円錐状のコンクリが設置されていたり…。平らだとホームレスが寝床にしてしまうからです(写真がなくてゴメンナサイ)。

…もちろん、店側の気持ちもわかります! でも昨夜のような冷たい雨の夜には、ホームレスの皆さんの行方が気になりますよね。収容施設もありますが、ホームレスの人々というのは自由人なので、そういう場所には行きたがらないそうです。

そう、楽園ハワイもいろいろな問題を抱えています。…つい、いろいろ考えてしまった雷雨の夜でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・メネフネと巨人の関係

2019年11月17日 | 神話・伝説


昨日は、ちょっと紛らわしいタイトルをつけてしまいました。

皆さんはあのタイトルを見て、きっとカウアイ島のスリーピングジャイアントのお話を想像したのではないでしょうか? なんといっても「メネフネと巨人」といえば、そのイメージが強いですものね。

スリーピングジャイアントの伝説については、今年の6月にカウアイ島を訪問した後、こちらの記事で軽くふれております。古い記事になりますが、そちらも合わせてごらんくださいねー。

では~。これからチャイナタウンに行ってきます!

(冒頭の写真は、6月の記事の使いまわしです。ごめんなさいー。今月末のカウアイで、もっとマシなスリーピングジャイアントの写真、撮ってきますね)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メネフネと巨人の関係

2019年11月16日 | 神話・伝説


最近、またまたハワイの小人族、メネフネのお勉強をしていました。

ご存知のように、メネフネ伝説の起源については諸説があります。過去、いろいろ書いてきましたが、今のところ「メネフネはマルケサス諸島からハワイに移植してきたポリネシア人」というのが通説ですね。

ところが数世紀後にタヒチからハワイに渡ってきた体格のいい人々に奴隷化され、それがメネフネの起源になったという…。

これが神話となると、メネフネのハワイ入りについて、とてもファンタジックにアレンジされ説明されています。壮大なものでは、巨人のカハノが海の底に寝そべり、片腕をタヒチに、もう片腕をハワイのオアフ島にかけ、その腕を橋代わりに渡ってメネフネがやって来たとか…(このお話が本当だとすると? カハノはどれだけ、巨大だったのでしょう!)。

またある神話では、メネフネはカウアイ島ワイメア渓谷に移住した酋長の息子に呼ばれ、酋長の故郷から渡ってきたとか…。

酋長の故郷についてはタヒチやマルケサスといわれていますが、中にはニュージーランドだとする説もあります。はたまた、ハワイに12あるとされる天上の島の1つ、クアイへラニだという人も。

…ミステリアスなメネフネ伝説、なかなか興味は尽きませんネ!

ちなみに冒頭の写真は、カウアイ島アラートン植物園の入口で見た看板です。メネフネとは書いてなかったけれど、メネフネ…ですよね? きっと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする