
こんにちは~。なんだかちょっとじめじめ、ムシムシする最近のハワイです。日本もきっと暑いんだろうなあ…。
さて(と急に話が変わりますが)、今日は1冊目の著書「ミステリアスハワイ」に“不思議なハワイアン従兄弟”として登場する、主人の従兄弟について、少々語りたいと思います。あ、そういえば2冊目の本にも、ちょっとだけ出ておりますが…。
この従兄弟、Kは、ハワイ語でいうところのカフ。カフは、カフナ(古代ハワイの祈祷師)とは似てあらざるものです。カフはハワイ語で聖職者、守護者などを意味し、キリスト教の牧師を、ハワイ語でカフと呼んだり、はたまたハワイ式の御払いをする人をカフと言ったりも。カフナといえば現代ハワイであまりに異教的で胡散臭い響きを持ってしまうことがあるので、今はハワイアンな聖職者をカフ、と呼ぶことが多いかもしれません。このKも、葬式や新店オープンなどの儀式を司ったり、新居の御払いをしたり。カフとして大変多忙な人です。
そして彼は、実はワイアナエのヘルスセンターの役員も務めており、昨年は、全米コミュニティ・ヘルスセンター協会の代表にも就任。そのつながりでオバマ大統領に面談したり連邦議会で陳述したり、今年2月には、ハワイから初めて全米コミュニティ・ヘルスセンター協会の長に選出されたということで、州議会で表彰もされています(表彰式に出席した主人によると、議員のほか多数のドクターもお祝いに駆けつけた、ということです)。
しかも!(長くなってごめんなさい) 現在60代のKは、そもそもはミネソタの大学で陶芸を教えていた陶芸家なんです。あのスミソニアン博物館にも、Kの作品「ペレのイプヘケ」が展示されているほどの腕前を持つ人なのでした(ネイティブ・アメリカン博物館)。ああ、なんて多彩な経歴の持ち主なんでしょうね…。
前書きが長くなりましたが(Kが妙な人ではないこと、わかっていただけましたでしょうか?)、これはKから聞いた、陶芸にまつわる不思議なお話です。
私がKに、「ハワイではポハクにはマナがこもる、というし、日本では石には魂がこもるという。じゃ、人工の陶器のようなものにはどうなんだろう。マナはこもりますか?」と聞いた時のこと。ポハクとはハワイ語で石、岩のことですね。マナはご存知のように気、霊気、のようなものです。
それに答えてKが言うには、陶器だってもともとは土。自然の万物には何だってマナがこもる。木工細工だろうが、何だろうが、とのこと。作り手の想いが、そういったものにこもるというか、反映されるのだ、とも言っていました。「だから作り手が愛をこめて作ればよいマナがこもるだろうし、逆もあるだろう」とK。そしてこんな例をシェアしてくれました。
昔Kが、あるハワイの禅寺から花瓶をたくさん作る注文を受け、作業していた時のこと。後は焼くだけ、という段階で、夕暮れ時の禅寺を後にしたそうです。と、車が門を出たところで、住職さんが追いかけてきました。驚いたKに住職が言うことには、「あなたの家に病人がいるだろう」。Kは驚愕しました。というのも、その前夜Kのもとに、父親が癌で末期だ、との悪いニュースがもたらされたばかりだったからです。
そのことを説明すると住職は言いました。「君の頭の中は1日中、病気のことでいっぱいだった。そんな心持ちで作った焼き物はダメだ。悪いパワーを人に与えるよ。全部壊してしまいなさい」。そういう“気”のこめられた陶器は人にネガティブな影響を与える、病気にしてしまう、と住職は言うのでした。
なぜ、住職には、Kの心の状態がわかったのでしょうか。そこについてはわかりません。…ですがそれを聞いたKは、住職の言葉に納得。その日に作った作品を全て壊し、一からやり直した、ということです。
…つまりは、素材だけでなく作り手の心の状態も、作ったものに移ってしまうということですね。きっと、作り手だけでなく持ち主のマナとかも移るのではないかと思います…。この場合には病への懸念でしたが、時にはその感情が恨みだったり悲しみだったり、憎しみだったりすることもあるのでしょう。その話を聞いて、なんだかゾ~っとしてしまいました。
そしてこの話を聞きながら思い出したのが、佐藤愛子さんの本で読んだ、沖縄のガラス器にまつわる少々怖い話です。これについてはまた次回~! 少々お待ちくださいね。
(写真はKの作品&ヒロのアンスリウムです)
さっそく覗いてくださったのですね!
嬉しいです~。
りかさんも陶芸がお好きなのですね。
私はやったことがないのですが、楽しいだろうなあ。
なんだか精神統一にもよさそうです(想像)。
確かに物作りには邪気は不要、ですね。
日々の料理にも何にでも、「愛」をこめなければなりませんね。
レイメイキングも陶器造りも同じですよね。
ネガティブな心境でレイは作ってはいけない、と言いますヨ。