菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

風の森の  『VESPER/ヴェスパー』

2024年01月28日 00時00分10秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2299回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 

 

『VESPER/ヴェスパー』

 

 

生態系が狂い、格差が究極に広がった未来の地球で植物研究少女が暮らす森に、富裕層の飛行艇が墜落してくるSFドラマ。

 

VESPER/ヴェスパー | あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品・上映情報 - 映画ナタリー

 

 

原題は、『VESPER』。
『ヴェスパー』、『黄昏』。
主人公の少女の名前。
英語の意味は、黄昏、夕べ、晩課、晩祷、宵の明星。
ギリシア神話に出てくる、世界の西の涯の園に住む乙女たちのこと。

 


製作年:2022
製作国:フランス / リトアニア / ベルギー
上映時間:114分
映倫:G

配給:クロックワークス  

 

 

監督は、新鋭クリスティーナ・ブオジーテ&ブルーノ・サンペル。
ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭で金鴉賞(最高賞)を受賞。

主演は、『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のラフィエラ・チャップマン。

 

 

物語。 

ウイルスにより生態系が壊れた未来の地球。
人類は前時代のような究極の格差社会となっていた。
富裕層のみが城塞都市シタデルで安全かつ科学技術を独占してぬくぬくと暮らし、多くの貧しい人々は食べるのも苦しく、わずかな資源を奪い合いながら細々と生きながらえていた。

13歳の少女ヴェスパーは危険な森で寝たきりの父ダリウスとその精神をつないだドローンと暮らし、人間に有用な新植物の研究をしていた。彼女はこの研究をシタデルに報告できれば、この暮らしから抜け出すという希望を抱いていた。
だが、彼女の村は独裁的な叔父ヨナスに支配されており、彼しかシタデルと連絡できない。
ある日、ヴェスパーはシタデルの飛行艇が森に墜落するのを見かける。
彼女が墜落した付近に行くと女性カメリアが吸血植物に襲われているのを見つける。

 

 

スタッフ。

監督:クリスティーナ・ブオジーテ、ブルーノ・サンペル
製作:アスタ・リウカイティテ、ダイヴァ・ヴァルナイテ=ヨヴァイシエンネ、アレクシ・ペラン、クリスティーナ・ブオジーテ
製作総指揮:セバスティアン・レボ、セシル・ギャジェ、ルイ・バルサン、マイク・シェマ
原案:ブルーノ・サンペル、クリスティーナ・ブオジーテ
脚本:ブライアン・クラーク、ブルーノ・サンペル、クリスティーナ・ブオジーテ
撮影:フェリクサス・アブルカウスカス
音楽:ダン・レヴィ

 

 

出演。

ラフィエラ・チャップマン (ヴェスパー)
エディ・マーサン (ヨナス/ヴェスパーの叔父)
リチャード・ブレイク (ダリウス/ヴェスパーの父)
ロージー・マキューアン (カメリア)
エドムンド・デーン (エリアス)

 

 

『VESPER/ヴェスパー』を観賞。
生態系が狂い、格差が極悪になった未来の地球で植物研究少女が暮らす森に、富裕層の飛行艇が墜落してくるSFサスペンス・ドラマ。
設定に凝りまくった低予算(約500万ユーロ=約8億円。『シン・ウルトラマン』より少ないし、欧州産なので約4億円相当か)の欧州SFでそのビジュアルが抜群。だが、大きなファンタジックなビジュアルは低予算なので、それがわずかなのは予想通り、というか、それでもここまでの映像を作り上げたことに感嘆する。
きちんと、広げられない世界の中にも造形物をこまめに入れて、SFにしている。
なにより、もろ宮崎駿、とくに『風の谷のナウシカ』を翻案しようとしているのが微笑ましい。(送り手がインタビューでもその影響を明言してますし、ほかの映画からのインスパイアされているのもわかります。光る植物などは『アバター』だし)
これを嫌う人もいるかもしれませんが、そういう巨人の肩にただ乗りしているだけの内容じゃあないの。物語の根幹はオリジナルですからね。
設定が多めで、そこらが物語にがっつり絡むわりに、説明の開示があんまりな脚本ではあります。しかも、その説明順番でサスペンスを醸成しようとしているのだけど、それもあまりうまくなくて、少々もどかしい。しかもしかも、ドラマの展開もゆったりしている。加えて陰鬱。
それでも、画面を支配する空気感に乗れたら、それらも、少女の眼から見える焦点の狭い世界ということで、いいスパイスにもなってしまってもいる。
まぁ、それらの有機的なつながりを見いだせないと、いろいろ飲み込めないってのあるでしょうけども。
映画SF屋だと、そこがいいところでもあるんだが、入れたんなら説明してよ、と思うのもわかります。
たとえば、あの研究所の死体とか、ジャグってどういうもんなのとか。
要素が多いので宣伝には全く出てこないし、映画内でもかなり描写が一番不足しているのがそうそう、この映画のオリジナルな設定である人工人類ジャグ(Jug=水差し、スラングで乳房の意味)の存在、これをもっときちんと扱っていたら、この映画、全く見え方が変わったはず。これいい設定で、ある種の女性の象徴かつ直喩になっているのよね。
それにより、ただの親子愛に見えるけど、実はそこに裏があるってのが見えてくる。そこを強調したくなかったのだろうというアンビバレンツを送り手に感じちゃう。
ちなみに、カメリアはツバキ属の学名で、多くは花を咲かせる。なので椿の花のようなピンクがかった赤の色名でもあり、花言葉は「罪を犯す女」。
小説で地の分があれば、そこらへんもヒントになって、想像力を広げながら読めるのを、同じく映像で想像力を広げてもらおうという、徹底的に映像で見せようという志向なのよね。
おいらは嫌いじゃないけど、今の日本だとそこに思考が迫れない客も多いだろうなぁと思ってしまう。
もうちょっと予算をつけて、映像でがっつり見せて、30分語りを足せていたら、全然血がttなんだろう。ヴェスパーのように、もう少し脚本に優しさがあってもよかった気もしなくもない。でも、こういう映画だからこそ惚れる人もいるだろうことも想像できる。
それでも、ヴェスパーの優しさが、胸を刺す。
送り手が『風の谷のナウシカ』から、そこを取り出したことに拍手を贈るし、この映画の足りなさをも擁護したくなる要因の一つ。この彼女の優しさが物語の軸になっているんです。キャラに思い入れ出来る能力の高い日本人こそ楽しめる人は多いと思う。
そう、このヴェスパーという人物の物語になっているのよね。
それをきっちりと表出したラフィエラ・チャップマンに拍手を置くr血合い氏、異様な迫力でたった一人でこの世界の悪意を体現して見せたエディ・マーサンの凄みはもっと評価されてほしい。ロージー・マキューアン演じるカメリアの異質ぶりもメイクチームとその演技の賜物。こういう丁寧な仕事は映画の質を上げる。
ある意味、『コンクリート・ユートピア』と近い部分もあって、アジア哲学で描かれた珍しい洋画でもある。
それに加えて、その優しさがその地獄のような世界でも、という部分があり、その地獄をいい仕事をして具現化した美術と撮影が届けてくれる。違う世界に旅に連れて行ってくれる。
そして、その地獄は、今の世界の写し絵でもある。そこに優しさが必要だという思いで物語を紡いだことを嬉しくなった。
でも、ポスターにある樹木風の建築物はそこまで出てこないんですけどね。(たぶんシタデルの建築物の廃墟じゃないかな)
人以上の自然を人間と人でなしで見せるヒューマンSFな一本。





 

 

Vesper: Filmin kadrosu ve ekibin tamamı - Beyazperde.com

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

日本版のポスターの色味は青系で冷たくし、オリジナルや海外版は日を入れて暖色系にしているのはなんでかしらね。

 

カメリアがヨナスに見せる従順から、エリアスが性的な道具にしていたことがわかる。
このカメリアの服従とヴェスパーの父への介護が重なる。
その差をエリアスとダリウスの思いの違いで描こうとしている。

それは、自己犠牲の3つの姿、ダリウス、カメリア、ヴェスパーの母の対比でも表そうとしているのだけど、それぐらいヴェスパーが希望なのだというのがそこまで見えない。(親の愛など情愛によるものに見える)

たぶん、あの死体は母なのだろう。母はピルグリムになることを拒み、ヴェスパーが追わないようにとも考えたのか、自殺を選んだのではないか。
あそこが研究上になっていたということは、母も研究者だったのだろう。

ウィルスに感染すると容姿が変わる(感染するかどうかは不明)ので、迫害されて、彼らだけのコミュニティへ移るしかなくなる。
ヴェスパー家は、感染者を出したから、森の奥に住まざるえなかったのかもしれない。

最後のヴェスパーが種をまく行為の解釈。
まず考えられるのは、通常の種に戻った種を使って、食料不足を改善していくのが筋と思いがちだが、結局それは権力を生みもする。(種でシタデルの住民が貧しいものを支配しているのだから)
ヴェスパーも以前と違い、父やカメリアを殺したシタデルの構造に組み入りたくもない。
賢いとはいえ、研究者の方であるヴェスパーはリーダー的ではないし、13歳の少女だ。
自分たちだけでなく、ジャグやピルグリムへの迫害も憂いている優しさが強い少女でもある。(だから、身の危険が迫っても父を見捨てられなかった)
どうしていいか、わからなくなった彼女は、せまてピルグリムの村のそばに、種を蒔き、大地に委ねることにしたのだろう。

カメリアは子種を持てないのだろう。それは子孫を残せない実際の種と重ねてあり、その体の中に子孫を残せる種をつくれる遺伝子が入ってるのが皮肉になっているのだと思われる。
『風の谷のナウシカ』などからもらってきた設定以外にもオリジナルな設定が素晴らしいだけに、なぜそれをもっと活かしきってくれなかったのか。もう、口惜しい。

 

カメリアはアメリカのアナグラムにもなっているけど、シタデルはアメリカの象徴でもあるということなのか。そこはカメリアの立場があるので、あまり感じらえないから、ちょっとノイズに感じなくもないが、これは考え過ぎなおいらが悪いんだろうな。

 

空から降ってきた女性(宮崎駿作品でのクシャナやシータ)を奴隷というか愛玩物にしたことで、インスパイア元からの現代的な差別化とインスパイア元への批判にもなっている。
映像化されてない宮崎駿のグラフィックノベル『シュナの旅』にもかなり似ている。これは英語版も出版されていて、フランス語のレビューも見かけたからフランスでも手に入るようだ。(宮崎吾郎の『ゲド戦記』は『シュナの旅』を下敷きにしているし、そもそも小説の『ゲド戦記』からインスパイアされて書かれたグラフィックノベルではある)

当初、監督コンビはこれ一本で完結作として考えていたそうだが、完成してみると、自身がこの先を知りたいと思ったとのことで、それで現在、続編の構想を練っているそう。
それについては、「え、ホントに?」とちょっと疑っちゃうなぁ。
だって、カメリアには癒し能力と機密が隠されてるのにすぐに抹消されないあたり、有益だと思うものがいて、ゆえにシタデルが生きて取り戻すように追っていた可能性がある描き方になっていて(だから、最後むやみやたらに撃ってこないのでヴェスパーも助かる)、だからこそ彼女は殺されずに捕まるし、ピルグリムがあまりにもうっすらな描写(病に侵され離れた人々は『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』でも描かれる)とヴェスパーがどう生きていくか放りっぱなしだし、あの死体が母ではなくピルグリム化した可能性もあるなら、それこそそこがつながってきて、ヴェスパーは母を探すだろうし、治療法を自ら研究しそう。
まぁ、ヨーロッパ作劇では、こういう放り投げる終わりはまあまああえるけどね。
もちろん、実現するかは、今作の商業的成功にかかっている。

 

 

 

 

 

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