菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

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Mとナイトの神隠し    『レディ・イン・ザ・ウォーター』

2006年10月07日 00時26分32秒 | 映画(公開映画)
『レディ・イン・ザ・ウォーター』を観た。

穿ってみる人や、物語にすんなり入り込める人は、楽みやすい感じ。
語り部としてのシャマラン監督は、技術におぼれるところ(そこが好きなんですけど)があるんですが、それを無意識に任せて、遊んだ感じが軽くていいですね。
そういう意味で、シャマランらしい要素が溢れまくってんですが、シャマランが苦手な方は、より苦手になるかも。


御伽噺(ベッドタイムストーリー)ということになってますが、まるで心理学の物語療法にそっくりだなぁ、と。

心理クイズでも良く出てきますよね。
「あなたは今、ボート乗り場にいます。ボートをこぐ人、一緒に乗る人、向こうで待ってる人がいます。それぞれ誰が浮かびましたか?」なんてやつです。
『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、「あなたはアパートの管理人です。水道の修理頼んできたのは、誰ですか?」みたいなやつにみえるのよね。


アパートメントの名前は、THE COVE。
THE COVEは小さな入り江の意味なのですが、イギリスの俗語で男という意味もあるそうです。
あのアパート自体がクリーブランドだったと考えてみたりして。
ベッドタイムストーリーのベッドも、カウンセリングのあのベッドというか寝椅子を思い浮かべてみたりして。
だから、『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、妻と娘を亡くしたクリーブランド元医師が、カウンセラーの物語療法で、自分の心の喪失を取り戻していく、という話・・・なんてね。
すべての登場人物はクリーブランドの分身でもある、と。

もっといえば、男とは、シャマラン自身なのかもしれません。
シャマランの映画作りへの悩みを治療していく物語療法にも見えます。
自分の子供に話すことで、映画作りに悩むシャマランがそのことによって、物語を取り戻していくのです。

そう観ると、
治癒者(ヒーラー) → 『シックスセンス』
記号翻訳者(シンボリスト) → 『サイン』
職人集団(ギルド) → 『ヴィレッジ』
守護者(ガーディアン) → 『アンブレイカブル』
に思えてきます。
1,2作目は、証人と7人の姉妹なのかな。
(2作目の『翼のない天使』は子供が主人公なので、記号翻訳者の子供なのかも。『スチュワート・リトル』は、入ったりするのかな)
で、ライターがシャマランであるわけです。


「作家が物語を産むのではない、物語が作家を見つけるのだ」てのは、よくクリエイターが使う言葉でもあるのです。
評論家的な自分を殺し、皆は見てはいけないという状態になっても、クリーブランドだけは“ストーリー”を見つめようとする。
物語の掟が、スクラント(商売的過ぎる傾向)を連れ去ったり。
クリーブランドは監督のシャマランで、ビックは脚本家のシャマランなのかも。

別世界に訪れる登場人物はシャマランのよく使うモチーフ。
『シックスセンス』における死後の世界の住人が聖者の世界へ。
『サイン』の地球へ来る宇宙人。
『ヴィレッジ』の遮断された村と外界を目指す女性。
『レディ・イン・ザ・ウォーター』でも、“ストーリー”は陸の世界にやってきます。
移民である、彼の作家としてのテーマなのかもしれません。

『レディ・イン・ザ・ウォーター』って、世の論評では、
『E.T』と例えられているようですが、おいらとしては、実は、『フック』なんじゃないかと見ています。
スピルバーグもあの頃、ピーターパン・シンドロームの代表選手みたいに言われてて、そこで、大人になったピーターパンを描いたのは、驚きでした。

本能で書いたかのような物語は、シャマラン自身に、彼が影響受けたものがイロイロ現れてきます。
『サイン』の『鳥』の発言から、ヒッチコックからの視点で観れば、『裏窓』と『めまい』からの影響を感じますね。
金髪美女によって落下するめまいによって、妄想世界に入っていく探偵が、『裏窓』のアパートにたどり着いたような感じを受けました。
『サイコ』も見えますね。
ただ、『サイコ』を『めまい』化した『アイデンティティ』ってスリラーがありますから、それも意識しているのかも。
しかも、『サイコ』の完全リメイクの撮影は『レディ・イン・ザ・ウォーター』と同じクリストファー・ドイルですしね。
『裏窓』から見かけた『E.T』に『めまい』がする『フック』というかね。

ヒッチコックも『サイコ』ではどんでん返しの答えを用意しましたが、
『めまい』では答えを明かさなかった。
(アメリカの評価では、ヒッチコックは『めまい』が最高とも言われています)
実は、『めまい』の方が先に作ってるんですが。
『レディ・イン・ザ・ウォーター』で、ついに謎解きは出来るけど、しないことによって、スクリーン内に世界を完成させようとしたのかもしれません。

ほかにも、人魚姫物語を現代翻訳した『スプラッシュ』のロンハワード監督の娘ブライス・ダラス・ハワードに水の精やらえたり、クリーブランドが舞台の『アメリカン・スプレンダー』主演のポール・ジアマッティを、クリーブランドという名前の役にしたりとかね。

シャマランは個人的な視点で、世界を見つめることで物語を語ってき増したが、その最も個人的な部分が出てきたのかもしれないなぁ。

宮崎駿がはじめて物語を本能的に描いた『千と千尋の神隠し』をお手本にして作ったってのも、愉快。


物語としては、自分に大きな役割を与えられて、恐れている人々ばかりが出てきます。
クリーブランドは自分自身が癒されたいのに、治癒者の役を与えられ、“ストーリー”は女王という役目があるとおびえ、最初の4つの役目を与えられた者はみなおびえ、映画評論家は登場人物となっておびえます。
なにより、メジャー大作の初主演のジアマッティ自身がその役目におびえているともいえる。
そして、シャマラン自身、監督なのに、メインキャストの一人となって、その大きな役目におびえる自分をも演出に取り込んでいます。

しかし、失敗しても、それに挑む事の素晴らしさを描いているといえるでしょう。
そして、最初は間違えても仕方ないよと、真の記号翻訳者となった少年に言わせてもいます。
届くかどうか、失敗し続けても、その言葉を届けようとした水の精たちのように。
いつかの誰かのために料理本を書き上げるような、大きな役目を与えられても、びびっても挑む勇気と覚悟を持ちたいものだ。



おまけ。
向こうの御伽噺は、言葉遊びが基本にあります。
これは難しいところです。
読んだ評では、評論家の部屋の番号の「13B」も、たぶんあまりよくない意味があるとも書いてありました。
(たぶん、映画の評として低い点になるのでは?)
字幕で、シンボリストが記号論者と訳されていますが、これ、どうやら少し間違いのようです。シンボルと記号は違うそうです。
あと、ギルドが職人になっていましたが、これもギルドは専門職による集団をさすので、集団を探しているですよね。
器は、ヴェッセルなのですが、これ、器、船や航空機の意味もありますが、植物の導管や管も指し、器よりもこちらの意味が強いのではないかと疑ってます。
水と導管で、花や実がなるという流れがあるのではないでしょうか。
器だと、入るのが水になってしまい、水の精が主になる気がするのよ。





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