一期一会

日々是好日な身辺雑記

上海観光(朝市から旧フランス租界散策)

2023年10月19日 | 旅行
上海旅行3日目15日(日)も午前中は孫と公園で遊ぶスケジュールとなっていた。10:00まで時間があったので、地下鉄婁山関路駅側の市場見物に行ってきた。海外旅行に行くと必ずその街の市場を覗く。地元の人の生活振りが窺えて楽しい。豚肉、鶏肉、魚、野菜と食材は豊富だった。鶏肉や豚肉はその場で捌き、日本では見たことがない魚やカエルまで売っていたが、香港や台湾で食文化の違いを見てきたので、驚きはない。カミさんは(新鮮ね!安いわね!)と感心しきりだった。









待合せた公園はマンションから歩いて2分くらいの所にあり、タータントラックが敷かれた広い児童公園だ。家の近くに大きな公園が2つもあるというのは、育児環境としては恵まれている。この日は手投げグライダーを持って現れた孫は、同じ年頃の中国人の男の子に関心を持っている様子に、カミさんが(遊ぼうと行ってごらん)と言ったら、恥ずかしげに寄って行くところを、離れて見ていたら、何やら話かけていたが、戻ってきて、切なげに(通じなかった)と。4月から通っている幼稚園には、日本語を離せない先生もいるらしく、部屋で1人遊びしている時には、何やら中国語らしきものを話ているが、今は耳から入っている段階だ。

孫が一番なついている娘は翌日帰るので、朝から昔日本人が多く住んでいて、歌謡曲上海ブルースで(夢の四馬炉か、虹口の• •♪ ♪)と歌われた虹口散策に行き、ランチをするレストランでの待合せとなった。学生時代から1人でのバックパック旅行をしてきた娘は、何でも見てやろう式の旅でアクティブに動き廻る。

そしてこの日息子が中華はかりでは飽きるだろうと予約していたのは、旧フランス租界にあるSOLOというイタリアンの店だった。公園から2台の配車サービスに分乗して向かう。とにかくこの配車サービスは直ぐ来るし、便利で息子もよく使う。

週一は家族サービスでの外食だという息子達が前に来た事がある店は、若者のカップルで満席だった。










ランチの後は、午後のお昼寝タイムという事で嫁さんと孫は戻る。食育と生活のリズムは崩さないという育児方針なのだろう、
好き嫌いなく食べ、健やかに育っている。
そして我々は旧フランス租界の散策をする。

(武康大楼)


旧フランス租界のランドマークとなっていて、かってノルマンディー•アパートと呼ばれていた曲線を帯びたシルエットが印象的な1924年に建てられたマンション。

(宋慶齢故宮記念館)
宋慶齢が1963年まで暮らした家。予約しないと入れない。




旧フランス租界を歩いていると、上海の他の地区とは違い、プラタナス並木が続き、
白壁の洋館が建ち並ぶ、雰囲気のある一角だ。フランス租界散策の後は、新天地界隈を廻るという娘と別れ、3人でカミさんがお茶を買いたいと言うので、卸売り業社何軒も入っている天山茶城を廻って買い物をする。長々とした説明と試飲をしている間は
館内をブラリ歩きをした。試飲をしても違いもよく分からなかった。






夕食は息子の家で取り3日目を終えた。












上海観光(豫園から外灘)

2023年10月18日 | 旅行
上海旅行2日目の14日(土)は午前中は幼稚園が休みの孫と公園で遊び、昼食を6人で取り、午後は代表的な見処スポットを4人で廻るプランになっていた。今回の旅行については行く先の要望を息子に伝え、それに沿って息子がEXELに外食先、オプショナルツアーなどのスケジュールを書いた物を送ってくれた。この日は10:00待合せまで時間があったので、そこから歩いて20分くらいの所にある宋慶齢陵園に行ってきた。
(宋慶齢陵園)

(宋慶齢の墓)




宋慶齢は孫文の奥さんであり、蒋介石夫人の宋美怜と共に宋三姉妹として知られ、そのノンフィクション本を読んだことがある。孫文亡き後、妹美麗とは政治的には対極の立場となる共産党の支援を続け副主席となるが、文化大革命で失脚するという波乱に満ちた人生だった。
2ヶ月くらい前にもNHKの(映像の世紀)で、この宋三姉妹のドキュメンタリーを見ていた。この番組はテーマ曲の加古隆の(パリは燃えているか)と共に好きで、必ず録画して見ている。







公園では2時間近くボールやフリスビーで遊び、追いかけっこをすると喜んで走り廻るので、芝生の中とはいえ目が離せない。こんな風に孫と遊ぶのは初めてだが、その成長ぶりを実感した。来年から水泳教室に行かせる話もしていたが、息子も4、5歳から始め中学高校と水球部だったので、小さい頃から始めたものは長続きするものだ。

息子のマンションにはジムもあるが、物足りないと夕食後に別なジムに通っているらしい。4月にはハーフマラソンを走り、この日の朝も10kmのジョギングをしてきたと言う。11月の上海マラソン(フル)にもエントリーしていてサブ4を目指すという。
サラリーマン生活も家庭生活も健康第一である。昼食は地下鉄で虹橋空港駅の一つ先の息子が予約していた中華レストランへ移動する。











このレストランも仕事関係で何回か利用しているらしく店の雰囲気も良かった。注文はメニューで選ぶのではなく、肉、魚、野菜と多品数の料理を見て注文するスタイルだ。1690元(約34,000円)と高めだったが味も雰囲気も申し分なかった。前夜からの店での中国語でのインタラクティブなやり取りを聞いていて、中国語は全く知らないが、流暢なものだと3人で感心する。食事後はスマホで配車サービスを呼びマンションまで戻り、孫はお昼寝タイムとなるので、一旦それぞれのホテルに引き上げ15:00に再集合とし、上海見処スポットの豫園→外灘→南京東路と息子と廻った。

(豫園)












豫園は上海観光の定番スポットらしく、中国人団体観光客で大賑わいだった。娘は20年前の大学生時代に上海→雲南省→ラオスと1人でバックパック旅行をした時に豫園に来たらしく懐かしがっていた。
レストランも混み合うので早めの夕食にしようと、焼き小籠包で有名でミシュランガイドにも載っているという店に案内される。満席だったが回転の良い店らしく、食べ終わりそうになると脇に立って待たれるという状況だ。缶ビールを飲み、追加品としてワンタンを食べたので待ってた人の期待を裏切った。

(外灘)









(南京東路)


外灘はイギリスによって作られたヨーロッパ的な街並みだが、それが上海観光名所というのも皮肉な話だと息子が言ってたが、
その名所見物に大変な人出だった。


ANAで上海へ

2023年10月17日 | 旅行
今日13日(金)は羽田発10:05の便でカミさん、娘と上海に向かった。

中国のインターネット規制状況が分からず、このブログの投稿のタイミングがずれるかもしれない。ホテルで無料Wifiは使えるがGoogleやLineはアクセス出来ないらしい。Lineは特に問題はないが、Googleは検索だけでなく、YouTubeやGmailは日常的に使ってるので不便かもしれない。日経電子版やマネックス証券へのアクセスは出来るのか?カミさんは国際ローミングを使うらしいので、株価チェックには携帯を借りよう。

前回の海外旅行は2019年の9月のハンガリー、ドイツ、オーストリア旅行だったので4年振りとなる。毎年今頃になると海外旅行をしてきたので、コロナ禍での空白期間は長かった。今回の処理水問題で反日感情が強い中での訪中はタイミング的に良くないが、今回は息子からのマイレージによるエアチケットの提供での招待で、5月に手配していたものだ。

6:00発の高速バスで羽田に向かったが、首都高が事故渋滞となり、予定時刻を50分程遅れての到着だった。国際線出発ロビーに着き、ロンドンやパリなどの行き先表示を見るといつもながらウキウキする。



定刻に飛び立った便は途中昼食を挟み、2時間40分のフライトで上海虹橋空港に降り立った。
30ヶ国近く出張と旅行で海外を訪問してきたが中国は初めてだ。2013年3月に1人でベトナム北部と中国雲南省を旅行すべく、エアチケットも買っていたが、2月に肝臓癌の手術を受けることになり、その旅行も中止となった。そんな10年後の初中国旅行だが、コロナ禍や習近平の毛沢東化•先祖返り政策で個人旅行は難しくなってきた。

上海虹橋空港到着して先ずは出発24時間前に作成した健康申告のQRと検温ゲートを通過して入国審査窓口へ、ここでパスポートと入国申告カードを担当官に渡し、その指示に従い生体認識情報を採られる。デスクに設置されたカメラに正体し、顔画像を撮られ、次に右手、左手と4本指、親指2本と指紋採取される。ここでパスポートに押印してもらい無事入国審査を終え、スーツケースをピックアップし税関申告へ。申告不要なので(NOTHING TO DECLARE)の通路を進むとX線検査に近くいた係官は、そのまま進めというようなジェスチャーと中国語を。

空港からは息子がタクシー利用を勧めてきてたので、娘と我々は別々のホテルを取っていたので、タクシー運転手に中国語のBookingComのコピーを見せ、娘、我々のホテルという順に降してもらう。
息子の家からそれぞれ別方向に歩いて10分くらいの所に位置していた。
空港からは15分くらいの39元(約800円)という近さだった。










チェックインした(ハイアットプレース シャンハイ ティエンシャンプラザ)は、リビングが付いた広い部屋で、大型モニターのテレビが2台あり、眺望も良かった。
早速Wifiのインターネット規制状況をチェックしたら、やはりGoogle、Lineは繋がらず、他には日経電子版、BBCニュース、そしてこのgooブログも繋がらなかった。規制基準がニュースメディアとSNSなのだろう。ただどういうわけか、スマホ画面に貼り付けてある韓国のニュースメディア中央日報日本版は繋がった。マネックス証券とYahooファイナンスは繋がった。
そしてテレビはCCTV主体で唯一CNNが見れるがここもイスラエル、ガザ地区の紛争報道の流し放しである。3日間そんなインターネット環境だったが何かと不便なので
今朝16日auの国際データローミング定額サービス6日間7000円に加入し、このブログも使い始めた。

ホテルで一休みした後、娘とは16:00に息子のマンションの前で待合せて部屋を訪ねる。部屋は12階にあり2LDKで125㎡で、納戸をリフォームし仕切りを無くした四畳半くらいのスペースを孫の部屋にして、玩具や絵本を置き、机と椅子が置いてあった。
この29階建てのマンションは、住民の8割は日本人駐在員家族で、日本領事館やJETRO、シンガポール、韓国大使館などがある一角に建ち、コロナ禍のロックダウンの最中にはこのマンションに住むNHK記者のレポートで、マンション住民の食材共同購入の様子や、部屋から撮ったロックダウン中の通りの様子などが放送されていた。
図書館から借りた上海歴史ガイドマップにはこのマンションも載っていたので、ホテルから歩いても分かりやすかった。

今年の4月から幼稚園に入った3歳5ヵ月の孫は戻ってきており、1月の成田での見送り以来だったが、活発で元気な男の子に成長し、持っていったお土産に喜んでいた。
そんな孫と遊んでいる内の6時半頃には息子も帰宅し、夕食を先に済ませ7時半には寝るという孫と嫁さんを残し、歩いて5分くらいの所にある中華レストランへ4人で食事に行った。息子が何回か来た店らしく、北京ダックをリクエストした以外は、息子のオススメに任せて青島ビールと白ワインでの夕食を取った。












日本での中華料理と比べ薄味で美味しかった。上海料理かどうかは確認してなかった。