「サヨナライツカ」見てきました。
映画を見る前に、原作も読んでいたんですが・・・ 原作は好きです。
でも、正直映画は、がっかりしました。
原作そのままの作品がすばらしい映像になるかはともかくとしても、
ここがこの作品の「キモ」ですってところが、ちゃんと表せてない。大事な設定を変えてしまったり。ホントに悲しくなりました。
きっと、原作を読んでない人にとっては、西島くん演じる豊が、二人の女性の間で優柔不断な態度の身勝手な男としか思えないのではないでしょうか?
一番びっくりしたのが、ミポリン演じる沓子と、石田ゆり子さん演じる光子が実際に会ってしまうこと。光子がバンコクまで沓子をたずねてきて、豊と結婚する前には姿を消すように言うわけです。
そんなシーン、原作にはないわけで。。。 そこを変えちゃだめでしょう!!
光子はひたすら日本で、豊のことを信じて待っている。沓子は別れが近づいているのを感じて、よけい豊を求めている。その狭間で葛藤する豊・・・沓子を愛しているけど、将来のことを考えると、また自分を信じてくれている光子を考えると、、、結婚をやめるわけにはいかない。。。そう考えて、苦悩して葛藤して壊れていく豊。
そのあたりが、全然描けてない。
沓子は光子から言われて別れたわけではなく、悩んで自分から身を引いたわけで。。。
だからこそ、再会に意味があったし。
再会後も、お手紙をもらったりとかのくだりが、すべてすっとばされていて。。。よくわからない。沓子が最後に自分の体調のこととかを恐る恐る豊に手紙にしたため、それで、豊はバンコクに飛んでいくのに
その分、長男のバンドとかそういうわけわからないところが足されてて。。。
おまけに、光子は自分が沓子と会ったことを豊に伝えてしまうし。
この流れでは、原作のせつなさ、繊細な心理の葛藤などは、表現できるはずもなく。。。つまらない作品になってしまったのが、すごく残念でした。
「臨終の時に、君は愛されたことを思い出すか? それとも愛したことを思い出すか?」
豊にたずねられた沓子は、豊と愛し合っていたときは、「愛されたこと」と答えます。
でも、沓子が死を迎える前には、その答えは「愛したこと」とだという。。。これがまた切なかった。。。
沓子はずっと、豊を愛し続けていて、その愛したことが大切なんですよね。この切ない気持ちが上手く伝わらないのはホントに残念でした。
原作の辻さん。。。よくこの映画でOKしたなあって思っちゃいました。
それと、ミポリンと石田ゆり子さんの老けメイクはきれいだったんだけど。。。西島くんの老けメイクは。。。正直コントかと思うくらい、いかにも!でショックでした。西島くんがかわいそう~腹筋割れててかっこよかったのに。でも、さらにコントと化してたのが、西島くんの上司役の加藤雅也さん。。。仙人のようになってしまってました。二人とも、しゃべり方までやたら老人のようにゆっくりしゃべってて、いくらなんでも50台なんだから、そんなしゃべり方じゃないだろ!って突っ込みたくなりました。
原作を読んでから、映画を見ると、がっかりするので、映画を見たい方は、映画を見てから、原作を読むことをお勧めします。
あ!でも、ミポリンも石田ゆり子さんも、ものすごくきれいでした。