今日は歴史の勉強を。

芙蓉之塔
これは大戦末期に大隅・岩川基地に展開していた海軍の航空部隊である『芙蓉部隊』を慰霊する碑。芙蓉部隊は部隊長美濃部少佐が特攻攻撃よりも通常の攻撃法で戦ったほうが合理的とし、特攻を拒否しました。隊員たちにとっては出撃=死の特攻よりも生きて還る希望のある芙蓉部隊は士気が高かったのではないでしょうか。使用する機材は、エンジンの整備性の悪さからやっかいもの扱いされていた艦上爆撃機「彗星」。カタログスペック上はかなりの高性能の機体ですが、当時の日本にはこの高性能機をまともに作り上げるよい材料も工作技術も不十分、また良質の燃料もないのでこの高性能機の能力を発揮させることもできませんでした。芙蓉部隊はこの機体をなんとか飛べるように努力し、稼働率をあげていました。芙蓉部隊の攻撃目標は、沖縄に展開するアメリカ軍の陸上部隊や航空基地、艦艇ですが、圧倒的な戦力差があり、これに対する戦法は少数機による夜間襲撃を行うこと。それに対してもアメリカ軍はレーダーを搭載した夜間戦闘機で迎撃します。苦しい戦いを続けながら徐々に消耗し、最後の最後は指揮官先頭で特攻するつもりでした。「指揮官先頭」を掲げながら戦史を読むとなかなかその姿が見えてこない日本海軍。考え方は合理的と聞く割には特攻という異常な戦法を編み出した日本海軍。知れば知るほどスマートなイメージは崩れていきます。その特攻やむなしの空気の中でも自分の考えを通し、悪条件の中で粘り強く戦いを続けた美濃部以下の芙蓉部隊が存在したことを知ってほしいと思います。

岩川基地配置図。秘匿が成功し1度も空襲を受けなかったそうです。

芙蓉之塔
これは大戦末期に大隅・岩川基地に展開していた海軍の航空部隊である『芙蓉部隊』を慰霊する碑。芙蓉部隊は部隊長美濃部少佐が特攻攻撃よりも通常の攻撃法で戦ったほうが合理的とし、特攻を拒否しました。隊員たちにとっては出撃=死の特攻よりも生きて還る希望のある芙蓉部隊は士気が高かったのではないでしょうか。使用する機材は、エンジンの整備性の悪さからやっかいもの扱いされていた艦上爆撃機「彗星」。カタログスペック上はかなりの高性能の機体ですが、当時の日本にはこの高性能機をまともに作り上げるよい材料も工作技術も不十分、また良質の燃料もないのでこの高性能機の能力を発揮させることもできませんでした。芙蓉部隊はこの機体をなんとか飛べるように努力し、稼働率をあげていました。芙蓉部隊の攻撃目標は、沖縄に展開するアメリカ軍の陸上部隊や航空基地、艦艇ですが、圧倒的な戦力差があり、これに対する戦法は少数機による夜間襲撃を行うこと。それに対してもアメリカ軍はレーダーを搭載した夜間戦闘機で迎撃します。苦しい戦いを続けながら徐々に消耗し、最後の最後は指揮官先頭で特攻するつもりでした。「指揮官先頭」を掲げながら戦史を読むとなかなかその姿が見えてこない日本海軍。考え方は合理的と聞く割には特攻という異常な戦法を編み出した日本海軍。知れば知るほどスマートなイメージは崩れていきます。その特攻やむなしの空気の中でも自分の考えを通し、悪条件の中で粘り強く戦いを続けた美濃部以下の芙蓉部隊が存在したことを知ってほしいと思います。

岩川基地配置図。秘匿が成功し1度も空襲を受けなかったそうです。
学校では教えてもらわない歴史上の出来事はいっぱいあるのでしょうね。
もっとちゃんと自分の国のしてきた事を知らないといけないんだろうな・・・。
明日は終戦の日ですね。
今の世の中は、戦時中に平和を願っていた人達が思い描いているような
日本になっているのかな?
どんな理由をつけても戦争はいけないよね。
学校では教えてくれないですね。。でも知らないとなんで戦争になってなんのために
みんな死んでいったのかわからないまま。今を生きてる者としてそれではいけない
と思いますよ。歴史を知ることで繰り返さないことができると思います。
今年は特に戦争時の体験談や検証の番組が
多いような気がします。
オバマさんの発言でお墨付きをもらえたか
当時を知る方がご高齢になられて、今語らなければ、
とお思いになったのかわかりませんが。
いろいろな立場で戦争を体験された方々のお話を伺うと
本当に考えさせられますね。
芙蓉部隊のような、限られた選択肢のなかで創意工夫を凝らし
極限迄がんばられた方々のこと、深く心に留めなければと思います。
また日々何が起こっているのか、公平な広い視野を持つこと、
そのためには歴史をよく知ることって大事ですね。話は跳びますが
大戦の要因として日露戦争の現状をよく把握していなかった(知らされていなかった)
ことに芽があるという説を聞き、益々歴史を掘り下げて考えなければ
と最近思っています。
なぜ戦争になったのか、そこで何が起こったのか知るべきですね。
世界で何が起こっていて自国がどう関与しているのか為政者は
伝える義務がありますね。日露戦争後の連合艦隊解散の時に東郷元帥
が言った言葉『勝って兜の緒を締めよ』 きろんな意味が込められていた
ような気がしますね。
太刀洗飛行場があって、戦時中、主に
中国へ向けての中継基地としての役割を
果たしたそうですが、この秋、新しく太刀洗平和記念館
ができるそうです。多分良くご存知だと思いますが、
1996年に博多湾から引き揚げられた97式戦闘機も
展示されるそうです。
最期の方は特攻機として改造され、散っていかれたそうです。
度々のほほんとビールを飲みに伺っていた
キリンビール工場がその跡地だったなんて・・
何でこんなに広いのかなと三菱系だから財閥はやっぱり・・
とか思っていましたが、、頭が下がる思いです。
秋一面に咲き広がるコスモスはせめてもの鎮魂なのかもしれません。
太刀洗から特攻に出撃された方々もおられますね。陸軍のパイロットは主に太刀洗で
育ったと本で読みましたよ。ビール工場になったとは、やはり今はいい時代ということ
ですね。97戦もホッとしてるかも。ぜひぜひ伺いたいと思います。