NFP Archives

山遊び・海遊びやカメラ・写真、星、電子工作(真空管・スピーカー等)の記事を中心にブログに掲載しています
南竹 成己

ミノカサゴとキリンミノ

2009年08月14日 | インポート
P9230396
ミノカサゴ。細長い羽根が何枚もついています。


P8180133
キリンミノ。羽根は扇状に広がります。これが滑らかに波打って動く様子はなかなかきれい。ただ、この魚は会うたびにあごが地面について「疲れた~」という感じに見えます。。。



芙蓉部隊(ふようぶたい)

2009年08月14日 | インポート
今日は歴史の勉強を。
0906077b
芙蓉之塔
これは大戦末期に大隅・岩川基地に展開していた海軍の航空部隊である『芙蓉部隊』を慰霊する碑。芙蓉部隊は部隊長美濃部少佐が特攻攻撃よりも通常の攻撃法で戦ったほうが合理的とし、特攻を拒否しました。隊員たちにとっては出撃=死の特攻よりも生きて還る希望のある芙蓉部隊は士気が高かったのではないでしょうか。使用する機材は、エンジンの整備性の悪さからやっかいもの扱いされていた艦上爆撃機「彗星」。カタログスペック上はかなりの高性能の機体ですが、当時の日本にはこの高性能機をまともに作り上げるよい材料も工作技術も不十分、また良質の燃料もないのでこの高性能機の能力を発揮させることもできませんでした。芙蓉部隊はこの機体をなんとか飛べるように努力し、稼働率をあげていました。芙蓉部隊の攻撃目標は、沖縄に展開するアメリカ軍の陸上部隊や航空基地、艦艇ですが、圧倒的な戦力差があり、これに対する戦法は少数機による夜間襲撃を行うこと。それに対してもアメリカ軍はレーダーを搭載した夜間戦闘機で迎撃します。苦しい戦いを続けながら徐々に消耗し、最後の最後は指揮官先頭で特攻するつもりでした。「指揮官先頭」を掲げながら戦史を読むとなかなかその姿が見えてこない日本海軍。考え方は合理的と聞く割には特攻という異常な戦法を編み出した日本海軍。知れば知るほどスマートなイメージは崩れていきます。その特攻やむなしの空気の中でも自分の考えを通し、悪条件の中で粘り強く戦いを続けた美濃部以下の芙蓉部隊が存在したことを知ってほしいと思います。

0906078b
岩川基地配置図。秘匿が成功し1度も空襲を受けなかったそうです。