キッチンから愛をこめて

丁寧に紅茶を淹れて過ごす日々

『嵐が丘』の荒野へ

2009年07月31日 | イギリス物語紀行2009
 続いてハワースにきたら是非体験してみたいムーア(荒野)散策へ。

 この日のムーアは、黄色いキンポウゲなど可憐なお花が咲き乱れ、もっと寒くて殺伐としたところかと思っていたのですが、以外にも楽しく、ハイキング気分で歩いて行きました。ウォーキングコースは人ひとりがやっと通れるような一本道で足場もよくなくって、スニーカーでないとちょっと大変なところなのですが・・・
 
 ハワースの村がだんだん遠くなり、 辺りがムーアらしくなってきた頃、松本先生が「これ、ヒースです。ヒースの花が咲いています!!」と驚いたようにおっしゃいました。
 現地のガイドさんがバスの中で「ヒースの花は8月ですから、まだ咲いていません」とはっきりおっしゃっていたので、以外な展開にみんな大喜びでした。なんと早咲きのヒースの花が咲いていたのです。

 『嵐が丘』に登場するヒースクリフとは、このムーアに咲くヒース(ツツジ科エリカ属の低木の植物)+クリフ(崖)なのです。いかにもって言う名前ですね。

 紫色のヒースの花をカメラに収めようと懸命になっていると、今度はだんだん雲行きが怪しくなり、ザワザワと風が出てきて、雨が当たってきました。風はさらに強くなりザワザワ・ワサワサ・・・まさに嵐が丘の原題『ワザリング・ハイツ』そのものになったのです。ワザリングとは、この地方独特のうなるような音をたてる強風のことだそうです。そして帰りがけには、その嵐も次第に治まっていったのでした。 
 早咲きのヒースの花も見ることができ、ワザリング・ハイツ体験もできました。なんて幸運なのでしょう♪

  
       石垣の道を歩きます          ハワースの村がだんだん小さくなって
  
     ヒースの花が咲いていました           あっちにも、こっちにも
  
    風がざわざわ吹き荒れてきました          小雨も降ってきました

『嵐が丘』の舞台ハワースへ

2009年07月30日 | イギリス物語紀行2009
ブロンテ一家が暮らした牧師館。今は博物館になっています。

◇7月12日(日)  時々  のち   

 8時45分 専用バスで小説『嵐が丘』の舞台ハワースへ、湖水地方から106キロの道のりです。
 
 ずっとお天気に恵まれていましたが、この日は朝から怪しい空模様でした。バスの中では雨脚が激しくなり心配しましたが、ハワースに着くころには止んでいました。本当にラッキーでした♪ 
 
 ヨークシャ州のハワースは荒野に囲まれた小さな村で、シャーロッテ(著書『ジェーン・エア』)、エミリ(著書『嵐が丘』)、アン(著書『アグネス・グレイ』)という三姉妹の作家を生んだブロンテ一家が、牧師である父親と暮らしたところです。シャーロッテとエミリの間にパトリックという男の兄弟もいました。シャーロッテの上に姉が2人いましたが、若くして結核で亡くなっています。 
 
 エミリ・ブロンテが1847年に28歳で発表した『嵐が丘』は、今でこそ名作と言われていますが、発表当時はあまりにも激情的な作風にまったく評価されず、姉シャーロッテ・ブロンテが書いた『ジェーン・エア』だけが絶賛されました。悲観したエミリは、兄の死も重なって、生きる気力を失い、30歳という若さで肺炎で亡くなってしまいます。   
 
 一家が住んでいた牧師館は、現在ブロンテ博物館になっていて、当時の家具や日用品、ドレスや靴などが展示されていました。ドレスは子供サイズのように小さく、当時の貧しい食生活が忍ばれました。エミリが息をひきとった長椅子もそのまま置かれていました。

 ひとくちメモ
 『嵐が丘』とは・・
 嵐が丘に住む主人アーンショーが、ある日ジプシーの少年を家に連れて帰り、ヒースクリフと名づけました。ヒースクリフはその家の娘キャサリンと仲良くなりますが、主人が亡くなるとアーンショー家とリントン家からは虐待されます。やがて成長し、キャサリンがリントン家のエドガーと婚約したことを知り、ヒースクリフは突如家を出ます。3年後、ヒースクリフは裕福になって戻ってきます。キャサリンは錯乱して、娘を産んですぐ亡くなってしまいます。そしてキャサリンの兄ヒンドリーが亡くなると、ヒースクリフは嵐が丘を乗っ取り主人になるのです。しかしヒースクリフの復讐はまだ終わらず、その矛先はエドガーとその娘キャサリンや、ヒンドリーの息子ヘアトンに向けられていくのです。

  
雨になりました、ガイドさんが写っていてビックリ!    ブロンテ姉妹が入学した寄宿学校 
  
       博物館はこちらから               博物館正面
  
   博物館の入り口にあるステキな看板            博物館前の風景     
  
        村の中心の通り           画家志望の兄パトリックが通ったパブ
  
  可愛いレース屋さん、レースを買いました          お花がきれい
  
               ハワースは緑いっぱいの村でした

レイク・クルーズ

2009年07月29日 | イギリス物語紀行2009
 船上から、宿泊したマクドナルド・オールド・イングランドホテルが見えました。

 夕方、ウィンダミアの街に戻り、遊覧船でウィンダミア湖をクルーズしました。

 湖の上から、緑の木々の山々や湖畔の洋館、休暇を楽しむヨットやボート、白鳥たちを眺めながら、爽やかな空気をいっぱい吸って、ゆったりと楽しいひとときを過ごしました。

 早朝のウィンダミア湖とはがらりと違う、観光客があふれるにぎやかな湖畔でした。

  
      遊覧船でクルーズに出発             ヨットを楽しむ人
  
      ボートも気持ちよさそう         夕食をいただいたイタリアンレストラン
  
        この辺りは、レストランやお土産ショップがたくさんありました

ワーズワースが愛したライダル・マウント

2009年07月28日 | イギリス物語紀行2009
 ライダル・マウントは詩人ウィリアム・ワーズワースが晩年の37年間を過ごし、最も愛した邸宅です。

 湖水地方の中心アンブルサイドとグラスミアの間に位置し、ウィンダミア湖とライダル湖の大小2つの湖が眺められる高台に建つ館です。現在はワーズワースの子孫が所有しています。 

 美しい室内は、当時の様子が再現されていて、ワーズワースの愛用の品々や肖像画、妻メアリーの残した刺繍などが展示されていました。ワーズワースが設計した広大なお庭も見ることができました。春にはこのお庭にも黄色い水仙が咲き乱れるのでしょうか。。
 
 松本先生がバスの中でご紹介されたワーズワースの代表的な詩『水仙』です。


 水 仙
            ウィリアム・ワーズワース(平井正穂訳)

谷を越え山を越えて空高く流れてゆく
白い一片の雲のように、私は独り悄然(しょうぜん)としてさまよっていた。
すると、全く突如として、眼の前に花の群れが、
黄金色に輝く夥(おびただ)しい水仙の花の群れが、現れた。
湖の岸辺に沿い、樹々の緑に映え、そよ風に
吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。

夜空にかかる天の川に浮かぶ
燦(きら)めく星の群れのように、水仙はきれめなく、
入江を縁どるかのように、はてしもなく、
蜿蜒(えんえん)と一本の線となって続いていた。
一目見ただけで、ゆうに一万本はあったと思う、
それが皆顔をあげ、嬉々として踊っていたのだ。

入江の小波(さざなみ)もそれに応じて踊ってはいたが、さすがの
燦めく小波でも、陽気さにかけては水仙には及ばなかった。
かくも歓喜に溢れた友だちに迎えられては、苟(いやしく)も
詩人たる者、陽気にならざるをえなかったのだ!
私は見た、眸(ひとみ)をこらして見た、だがこの情景がどれほど豊かな
恩恵を自分にもたらしたかは、その時には気づかなかった。

というのは、その後、空しい思い、寂しい思いに
襲われて、私が長椅子に愁然として身を横たえているとき、
孤独の祝福であるわが内なる眼には、しばしば、
突然この時の情景が鮮やかに蘇るからだ。
そして、私の心はただひたすら歓喜にうち慄(ふる)え、
水仙の群れと一緒になって踊り出すからだ。   
  
 ひとくちメモ
 ワーズワースは1770年湖水地方で生まれ、自然をこよなく愛したロマン派を代表する詩人です。ケンブリッジ大学在学中に革命下のフランスに渡り革命思想の洗礼を受けますが、帰国後はグラスミアに移り住み、産業革命に沸くイギリス社会に自然の美しさを説いた作品などで評価を得ました。また湖水地方の景観を守るため自然保護運動にも力を注ぎました。1843年王室の慶事に公的な詩を作ることを義務とした桂冠詩人となりました。1850年80歳で永眠。

  
      ライダル・マウントに到着             玄関も美しく
  
     ワーズワースが設計した庭園     
  
           ライダル・マウントへ向かう途中の素晴らしい眺め

ポターが暮らしたヒル・トップ

2009年07月27日 | イギリス物語紀行2009
 ヒル・トップに到着♪ この玄関先は『こねこのトムのおはなし』に出てきます。

 13時30分 専用バスでニア・ソーリー村へ
 
 ニア・ソーリー村にある農場ヒル・トップは、作家ビアトリクス・ポターが1905年に購入し、後半生を過ごした家です。内部の家具や小物は、ポターが暮らしていた当時のまま再現され、手紙や挿絵なども展示されています。現在は、ナショナル・トラストにより管理されています。

 映画『ミス・ポター』を観て以来、一度は行ってみたいと憧れていた場所に、とうとう来ることができました。

 ヒル・トップの玄関や暖炉、食器棚、廊下、畑、お庭などは、ポターが描いたピーターラビットシリーズの中にたびたび登場していますので、初めて来たのに懐かしい♪ 絵本の世界そのままの風景が広がっていました。

 ひとくちメモ
 ビアトリクス・ポターは、1866年ロンドンの裕福な家庭に生まれました。子供の頃からスケッチに熱中し、避暑に訪れた湖水地方でさらに豊かな感性をはぐくみました。36歳で「ピーターラビットのおはなし」を出版。その後も続々とオリジナル作品を発表し人気作家に。その収益で39歳の時ヒル・トップ農場を買い取り移住。その後ナショナル・トラスト運動に賛同して自らも環境保護に従事しました。1943年77歳で永眠。遺言により4,300エイカーの土地と14の農場などをナショナル・トラストに寄贈しました。

  
 とうとうヒル・トップにやって来ました この木戸は『こねこのトムのおはなし』に出てきます
  
  ヒルトップの小道『こねこのトムのおはなし』に出てきます ヒル・トップに到着♪
  
       白いベンチがいい感じ           逆方向からのヒル・トップ 
  
     玄関前の様子、お花がきれい          グリーンの窓枠もかわいくて
  
ヒル・トップお隣のパブ「タワー・バンク・アームス」は『あひるのジマイマのおはなし』に登場
  
   ヒル・トップの目の前に広がる田園風景          お庭はお花が満開

ビアトリクス・ポター・ギャラリー

2009年07月26日 | イギリス物語紀行2009
 
 湖水地方の美しい自然を守るために力を尽くした人がいました。
 1人はビアトリクス・ポター。ピーター・ラビットシリーズの絵本の作者です。
 もう1人はワーズワース。イギリスのロマン派を代表する詩人です。

 100年以上も前、開発による自然破壊を危ぶみ、湖水地方の豊かな自然を守ろうとしたのです。
 現在その思いは、文化保護協会ナショナル・トラストにしっかり受け継がれています。
 この2人にゆかりのある場所を訪ねました。 
 
  10:00 専用バスで湖水地方の観光に出発しました。

 まず、向かった先は、ホークスヘッド村にあるビアトリクス・ポター・ギャラリー。
 ポターの夫ウィリアム・ヒーリスの弁護士事務所だったところです。

 現在はギャラリーになっていて、ポターの描いた挿絵の原画や水彩画、創作ノートなどが展示されています。ヒーリスのオフィスも再現されていて当時の様子を伺い知ることができます。

  
 この建物もナショナル・トラストが管理しています       青空に映えて
  
      ほんとうに美しい石造りの家          フラワーボールがきれい
  
       ホックスヘッド・グラマースクールはワーズワースが通った学校です
  
  懐かしい真っ赤な郵便ポスト   ランチのサラダ メインはビーフシチュー デザートはアイス

ウィンダミア湖の朝

2009年07月25日 | イギリス物語紀行2009
  朝靄が立ち込める湖に朝陽が射して・・向うに見えるのが宿泊したホテルです。 
 
◇7月11日(土)
 
 朝食の前に、ウィンダミア湖畔をお散歩に行きました。

 湖は朝靄が深く立ち込めて、とても幻想的な雰囲気でした。
 湖水は、限りなく澄んでいました。

 早起きの白鳥が数羽、湖面をすべるように泳いでいました。近づいても逃げようとはしません。日中は観光客でにぎわう湖畔ですが、誰もいない朝の湖は静寂で絵画のように美しい光景が広がっていました。

 早起きしてよかったわ、こんな美しい朝に出会えて!! 心からそう思いました。 

  
   美しい白鳥が優雅に泳いでいました          木陰で眠っている白鳥も・・・
  
     早朝の湖はとても静かです            まだ、観光客はいません
  
   私有地でしょうか、緑が美しい庭園       丘の上のホテル、お花がきれい
  
 お散歩の後の朝食は、とってもおいしかったです       湖畔の街ボウネス

湖畔のホテル

2009年07月24日 | イギリス物語紀行2009
 湖水地方で宿泊したマクドナルド・オールド・イングランドホテルは、ウィンダミア湖を望む優雅な湖畔のホテルでした。

 17世紀のヴィクトリア朝スタイルで造られた館で、家具や調度品もアンティーク。とっても素敵なホテルです。こちらに2泊しました。

 私の泊まったお部屋からは、刻々と表情を変えるウィンダミア湖が見渡せ、なんとも贅沢なひとときを過ごしました。 

  
      蔦が絡まってステキ             ホテルのロビーです
  
     調度品も重厚な感じ(ロビー)        美しい景色も満喫(ロビー) 
  
     豪華なシャンデリア(ロビー)     持ち手が蝶のアンティークなティーセット
  
      お部屋もとてもステキ         お部屋の窓の外は、レイクビュー
  
    お夕食のメインはダック料理、お魚のフライ、スープ、サラダ、デザート付き

湖水地方へ

2009年07月23日 | イギリス物語紀行2009
  昼食後、専用バスでエジンバラから245km、スコットランドとイングランドの境界を越えて、イングランド北西部にある湖水地方に向かいました。 

 湖水地方は、その名のとおり、大小の湖が点在する景勝地です。
 水と緑が織り成す景観は、イングランドでもっとも美しいと言われています。広大な自然と農場と動物たち。何世紀も変わらないイギリスの人々の心のふるさとだそうです。

 車窓の外は、のどかな田園風景がどこまでもどこまでも続きます。おとぎ話のような景色をうっとりと眺めながら、長いドライブを楽しみました。 
 
  
      青空の下、緑が輝きます             草を食む羊の群れ
  
  なんてきれい、途中で休憩したショップで        18時過ぎホテルに到着

エジンバラはファンタジーの宝庫

2009年07月21日 | イギリス物語紀行2009
  「魔女の井戸」だそうです。何か曰くありそうな・・・ 
 
 エジンバラは、ちょっと不思議な街です。
 ポルター・ガイストが起っても、魔女がクロウスと呼ばれる路地からひょっこり現れても、「そんなことあるかもね」みたいな・・・ファンタスティックな街。 
 
 J.K.ローリングがこの街のカフェで『ハリーポッター』を書きましたし、ロバート・ルイス・スティーヴンソンがこの街に住んでいた二重人格者ブロディをモデルに『ジーキル博士とハイド氏』を書いています。エジンバラは、ファンタジーの宝庫なのです。

 実は私はあまり読んでいません。有名なので大体のあらすじは知っているのですが、ちょっと苦手な世界かも・・・

  
       スティーヴンソンの生家      赤い扉が玄関 今もどなたか住んでいます
  
  ジーキルとハイドのモデルブロディにちなんだパブ   ブロディの仕事場だったカフェ  
  
 ハリーポッターが書かれたカフェ(車窓から)   昼食のメイン、サーモンとポテトのお料理