キッチンから愛をこめて

丁寧に紅茶を淹れて過ごす日々

『嵐が丘』の舞台ハワースへ

2009年07月30日 | イギリス物語紀行2009
ブロンテ一家が暮らした牧師館。今は博物館になっています。

◇7月12日(日)  時々  のち   

 8時45分 専用バスで小説『嵐が丘』の舞台ハワースへ、湖水地方から106キロの道のりです。
 
 ずっとお天気に恵まれていましたが、この日は朝から怪しい空模様でした。バスの中では雨脚が激しくなり心配しましたが、ハワースに着くころには止んでいました。本当にラッキーでした♪ 
 
 ヨークシャ州のハワースは荒野に囲まれた小さな村で、シャーロッテ(著書『ジェーン・エア』)、エミリ(著書『嵐が丘』)、アン(著書『アグネス・グレイ』)という三姉妹の作家を生んだブロンテ一家が、牧師である父親と暮らしたところです。シャーロッテとエミリの間にパトリックという男の兄弟もいました。シャーロッテの上に姉が2人いましたが、若くして結核で亡くなっています。 
 
 エミリ・ブロンテが1847年に28歳で発表した『嵐が丘』は、今でこそ名作と言われていますが、発表当時はあまりにも激情的な作風にまったく評価されず、姉シャーロッテ・ブロンテが書いた『ジェーン・エア』だけが絶賛されました。悲観したエミリは、兄の死も重なって、生きる気力を失い、30歳という若さで肺炎で亡くなってしまいます。   
 
 一家が住んでいた牧師館は、現在ブロンテ博物館になっていて、当時の家具や日用品、ドレスや靴などが展示されていました。ドレスは子供サイズのように小さく、当時の貧しい食生活が忍ばれました。エミリが息をひきとった長椅子もそのまま置かれていました。

 ひとくちメモ
 『嵐が丘』とは・・
 嵐が丘に住む主人アーンショーが、ある日ジプシーの少年を家に連れて帰り、ヒースクリフと名づけました。ヒースクリフはその家の娘キャサリンと仲良くなりますが、主人が亡くなるとアーンショー家とリントン家からは虐待されます。やがて成長し、キャサリンがリントン家のエドガーと婚約したことを知り、ヒースクリフは突如家を出ます。3年後、ヒースクリフは裕福になって戻ってきます。キャサリンは錯乱して、娘を産んですぐ亡くなってしまいます。そしてキャサリンの兄ヒンドリーが亡くなると、ヒースクリフは嵐が丘を乗っ取り主人になるのです。しかしヒースクリフの復讐はまだ終わらず、その矛先はエドガーとその娘キャサリンや、ヒンドリーの息子ヘアトンに向けられていくのです。

  
雨になりました、ガイドさんが写っていてビックリ!    ブロンテ姉妹が入学した寄宿学校 
  
       博物館はこちらから               博物館正面
  
   博物館の入り口にあるステキな看板            博物館前の風景     
  
        村の中心の通り           画家志望の兄パトリックが通ったパブ
  
  可愛いレース屋さん、レースを買いました          お花がきれい
  
               ハワースは緑いっぱいの村でした