今日の5時間目
「さとうきび畑」の歌と沖縄での戦争について考える学習
「さとうきび畑」の詩を読み、戦争に関係のある部分に線を引き、どんなことが分かるかグループで話し合います
大人の方なら、ご存知かも
この歌には、大変な思いが込められているのです
先生が、2002年、たまたまテレビで見た対談形式の番組の一部をまとめたものを読みます
先程までの明るい雰囲気が一変
・・・寺島さんが初めて沖縄の地を訪れたのは、昭和39年6月、第二次世界大戦の沖縄が、まだアメリカの統治下にあり、沖縄への出入りには、日本人でもパスポートが必要な時代でした。・・・
・・・寺島さんは土地の人に案内してもらい、沖縄のあちこちに残された戦場跡を訪れました。・・・さとうきび畑にさしかかった時でした。その男性はふと立ち止まって、静かに寺島さんに語りかけました。「あなたが今歩いているこの土の下に、戦没者の骨が埋もれたままになっています。」と。
寺島「そのときに思わず立ち止まって、きれいな空を見上げ、夏の日差しの中で、突然何かくらくらっとして、風の音がものすごかったんです。その音が何か戦争で亡くなられた人の怒号『なぜ俺はこんな目にあったんだ』というような、そういう声が耳元で聞こえるような気がしました。そして、これは何かにしなければいけないと、潜在的にぼくの心で何かが芽生えました。」
資料にどんどん引き込まれていく子供たち
寺島「東京に帰ってしばらくの間は、衝撃で何もできませんでした。そして、さとうきび畑で聞いた風の音を何とか音楽で表現しようとしました。・・・ある時、ざわざわ見たいにただうるさい音でもなく、さわさわみたいなきれいなさわやかな音でもない。じゃあ、それをくっつけてみようと思って、ざわわというのを自分で考えついたとき、手を打ってこれだと思ったのです。」
ざわわ、ざわわ。11番まである歌の中で、繰り返し、繰り返し、合計66回も反復されるこの言葉の中に、寺島さんはあの日、ご自身の胸に鋭く突き刺さった衝撃を表現したのです。寺島さんが、このざわわという言葉にたどり着くまでに、2年の歳月が流れていました。
寺島「・・・この歌が歌い継がれていくことを私はすごくうれしく思っています。今、さとうきび畑を見ただけでは、ここであんな戦争があったなんて思わないような美しい場所になっています。いろんなものが風化していって、戦争っていうものの悲惨さも風化しているでしょう。本当は、平和が訪れてこんな歌はもういらないという時代がくれば一番いいのですが。それに近づくために、歌で気持ちを伝えよう、そんな思いで今はいます。・・・」
実際に先生が宮原小学校の花壇(畑)で育てているさとうきびを見せました
1本では音はなかなか表せませんが、イメージを持つためです
「さとうきび畑」の歌をバックに、戦中戦後の沖縄の動画を見ました
動画と歌にも引き込まれていく子供たち
歌詞と見比べながらモニターを見ている子も
モニター(動画)を見たり、パソコン画面(動画)を見たり、黒板(歌詞)を見たり、手元のプリント(歌詞)を見たり・・・それぞれが真剣です
歌が聞こえ、動画が流れているだけの空間
空気が止まっているように感じました
子供たちは、様々な思いをめぐらせていたと思います
「さとうきび畑」は、もしかしたら、ずーっと心に残る歌になるかもしれません
最後に感想を書いて終わりました
さて、こちらは、最後のクラブで撮った集合写真
担当の先生が、「いい写真が撮れたんです」と笑顔で伝えに来たので、ブログに載せることにしました
ホント、ステキな1枚です