負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

ガキにもおとるオトナ

2015-01-08 21:53:56 | 原発震災避難者


雪の福祉センター



われわれは

この上もない文明社会に棲んでいる・・・ と思っています。


しかし 有史以前に

われわれの祖先がやってきたことを空想すると

未開人が

愚にもつかぬ児戯に明け暮れていた ・・・ と ついそう思ってしまいます。


冗談じゃありません。


文明が爆発的に伸びたのは科学技術だけで

それをあやつる人間のおツムの中はというと

あいかわらず ・・・ 未開野蛮人のまんまです。

あるいは ・・・ それ以下です。


本人たちは オトナと思い込んでいますが

ほんとは ガキにもおとる未熟状態の連中が

いつ危険な火遊びをおっ始めかねないとも限らぬから ・・・ 怖いです。


なんのことはありません。

石ころを工作した鏃( やじり )が

原水爆やミサイルにかわったという

ただそれだけのことだ ・・・ と思うと さぁ ・・・・







「 ありがとう 」 ・・・ 難値難遇

2015-01-08 19:53:09 | 原発震災避難者


雪の福祉センター



「 ありがとう 」 ・・・


「 ありがとう 」ということばは

むかしは 「 難有 」であり

「 なかなかありえない 」という意味を持っていました。


「 ありがとう 」は じつは 仏教の言葉です。


仏教の言葉に

「 難値難遇 」( なんちなんぐう )というのがあり

「 値(あ)い難(がた)し 遭(あ)い難(がた)し 」と読みます。

つまり

これが「 ありがたい 」のもとの意味です。


では

なぜ 「 ありがたい 」のでしょうか。


人間としてこの世に生まれることは

ひじょうに難しいからです。

われわれ人間には

とても想像もつかないような無限の時間の中を

さまざまな変化を繰り返しながら

形を変え ・・・ 姿をみせます。


命を受けて

人間となって生まれてくるということは

・・・ じつに難しいこと

つまり 「 ありがたい 」こと

・・・ というべきなのでしょうね。







息 ・・・ 意気

2015-01-08 17:51:58 | 原発震災避難者


雪の福祉センター



他人と息が合う ・・・ というのは

心を同じくする ・・・ ということです。


心と心が一つになり

「 さあ いっしょにやろう 」という気持ちが

自然に湧いてくることです。

つまり 意気がみなぎり

意気と意気とがとけ合うのです。

生きるというのは ・・・ こういうことではないでしょうか。


息は意気に通じ ・・・ 生きることに通じます。


息が整えば

知らず知らずのうちに

意気が湧きあふれ 生き生きとした自分が生まれます。


息のつきかた コントロールのしかたひとつで

このように人生が変わるとしたら ・・・

なにがなんでも ・・・ やってみるにかぎりますね。









欲 ・・・ 自分を見失う

2015-01-08 15:00:59 | 原発震災避難者


雪の福祉センター



われわれ人間が

いろいろ さまざまな欲を持っていることを

しっかり知っていることと

その欲におぼれてしまうこととは

・・・ まったくちがいます。


欲におぼれてしまえば

やがて 苦しみが待っているばかりです。

欲というのは 際限がないからです。

これでいいという 限界を知らないからです。


われわれが 欲におぼれてしまわないためには

自分で自分を判断すればよいのです。


「 ははあ これがオレの欲か 」と ・・・ 気づけばよいのです。


そうしているかぎり

欲におぼれて 自分を見失うことはありません。







坐禅 ・・・ 天地をつらぬく

2015-01-08 12:00:58 | 原発震災避難者


雪の福祉センター



坐禅には

特別むずかしいことは なにもないし

まして

神秘的なことなど すこしもありません。


だから やろうと思えば

だれにでも  どこででも  すぐにできます。


「 只管打坐 」といいます。

ただ坐るだけ  ひたすら坐るだけです。


「 坐 」という字は

土の上に人間が二人向き合っています。


「 坐る 」とは 土の上に人間が

 腰をつけて じっとしていることです。


坐禅は 一人で坐ります。


一人で坐り 自分自身と向き合います。

この場合 土の上に腰をおろす

いう意味あいをもった「 坐 」という字は ・・・ 含蓄がありますね。


大地に腰をおろすとは

つまり 自然と一体になることです。

大地の上に まっすぐ背骨をのばすことです。

人間の体の中の脊梁骨( せきりょうこつ )が

・・・ 天と地をまっすぐにつらぬきます。

自然と一体になるには この姿勢がいちばんいいのです。


あくまでも 背骨をまっすぐにのばすことが基本です。


いきいきとした坐禅の姿勢には どこにも無理がありません。

春風のようにのんびりしているようでありながら

・・・ おかしがたい威厳があります。

・・・ 隙のない堂々たる姿があります。

・・・ 天地を貫く一本の脊梁骨のみです。


これを中心に

心も体も一つであり

豊かな息づかいを

ゆっくり静かに吸い込み吐き出す繰り返し ・・・


新しい自然な意気が ・・・ 蓄えられてきます。

極妙至極の新しい力が ・・・ 湧き出てきます。







「 さようなら 」 ・・・ とは言いません。

2015-01-08 08:59:02 | 原発震災避難者


雪の福祉センター



私は

どんな人とでも

別れるときに

「 さようなら 」 ・・・ とは言いません。


「 またね ・・・ 」

「 気をつけて ・・・ 」( 元気になりなさいよ )

・・・ と言います。


「 きょうは楽しかった。またぜひお会いしましょう ! 」

こう言って別れるのが最高だと思います。


すべての人間関係が

「 ぜひまた 」という明るいものでありたいと思っています。