負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

背中 ・・・ 続 ・ 続

2015-01-12 23:09:56 | 原発震災避難者


大遠足



背中を表す漢字 「背」は

肉を表す 「月」と

背骨を表す象形文字とからできています。


甲骨文字や金石文字では

背骨は レントゲン写真で見るように

脊椎の骨が 一個ずつ連なっていました。

それが変形して ・・・ 「脊」の上部の象形となったのです。


背中が頑丈なのは

この脊椎の骨が しっかりしているからです。


背中で重さに ・・・ 耐えます。

赤ん坊も乗せるし

重いかごも背負います。


また 私たちは

人生の重荷を 背中で背負うし

過去の象徴である家紋をつけるのも

腹でなく ・・・ 背中です。


西洋でも 背後霊という過去の亡霊は

背中につくことになっていました。


しかし 今

人間は 過去を忘れようと懸命です。


背中は 満員電車に割り込むときくらいしか

からだの利益として ・・・ 思い出されることはないようです。







ねんねこ ・・・ 背中

2015-01-12 21:09:16 | 原発震災避難者


大遠足



足が交通の原形だとすると

背中は運輸の原形です。


からだのなかで

いちばん幅広く 重さに耐えうるところ

それが ・・・ 背中です。


数年前 中国の奥地の村を訪ねたとき

今はむかしの「 ねんねこ姿 」を見て

言いしれぬ ・・・ なつかしさを感じました。


むかしの赤子は ほとんどみなといっていいぐらい

「 ねんねこ 」でおんぶされ ・・・ 大きくなったものです。


「 ねんねこ 」とは 「 ねんねこばんてん 」の略で

子ども背負うときに着る半纏( はんて ん)のことですが

今は ・・・ 絵入りでもないとわからなくなったですね。


日本人は

時代の勢いに押されて ・・・ ねんねこを追放してしまったのです。


ちかごろでは 逆に

外人のほうが背中にいすをくくりつけ 運搬しているのをみかけ

おもわず ・・・ 微笑することがありますね。







続 ・ 背中 ・・・ 手当て

2015-01-12 18:08:21 | 原発震災避難者


大遠足



今は昔のイメージになってしまいましたが ・・・


貧家の孝子が 薬を求める金もなく

苦しむ親の背中を懸命にさする ・・・ という光景がありました。


薬がなくて 背中をさするなんて

何の役に立つか と言う人もいるでしょうが ・・・


背中は 苦患( くげん )のインデックスです。

痛いところ だるいところをさすってほしい

というのは ・・・ 患者の人情です。

そして 人情にこたえるというのが ・・・ 医療の原点です。


病は気から ・・・ ということが真実であれば

気で病が治らぬでもありません。

そんなことを 昔の孝行息子が考えていたかどうか ・・・ 。

考えていなくても

手は自ずから ・・・ ほかならぬ 背中に伸びていたことでしょう。


「 かわいい子ね 」と頭をなでる。 が ・・・ 

東南アジアには ・・・ 頭を触られると怒るという文化があります。


背中をさすられて怒る文化があるかどうか ・・・ は知りません。







背中 ・・・ 手当て

2015-01-12 15:07:44 | 原発震災避難者


大遠足



鈍重な顔をしていて

そのくせ 反応は鋭敏な人

・・・ そんな人が世間にいるものですが

背中は ちょうどそんな感じです。


背中を バカにしてはいけません。


背中ほど 大事なところはありません。

・・・ というのも

具合の悪いとき

介抱に背中をさする人はいても

おなかをさする人はおりません。


手当てとは

文字通り 「 手 」を当てるということで

介抱 介護 医療の原点ですが ・・・

たしかに

手を患者のからだに当てるだけで

苦痛は ・・・ いささかでも楽になるものです。







肩こり ・・・ 知りません

2015-01-12 12:07:11 | 原発震災避難者


大遠足



肩こり( 肩凝り )は 日本人独特のものらしい ・・・


少し具合の悪いところができると

日本人は ・・・ 「 からだ 」のせいにします。

カナダ人は ・・・ 「 精神 」のせいにします。


というわけで

日本人は ・・・ すぐ医者か マッサージ師へ駆け込むし

カナダ人は ・・・ すぐ「 精神分析 」のクリニックに向かって走り出します。


肩こりも このテかな ・・・

 
ストレスがかかると

肩が凝った ・・・ と生理学的に解釈するようです。


それにしても

なぜ とくに肩に凝りが集まるのでしょうか。

それは 本当に日本人だけの特徴なのでしょうか。


フランス人は 背中を凝らすと言います。

多くは 内臓の病気のしるしです。


サムライの装束に カミシモというのがあります。

カミシモをつけて 肩をいからせていると

立派に( 立派そうに)に見えます。

若い衆も 肩をいからせて街を歩きます ・・・ 。


そんなわけで

肩に血を集めるのだろうと思います。


ちなみに ・・・ 私は 「 肩こり 」というものを知りません。







肩の凝らない話 ・・・ 苦心惨憺

2015-01-12 10:06:29 | 原発震災避難者


大遠足



避難生活を始めてから ・・・ 

このところ 講演の機会が少ないですが ・・・ 


「 肩の凝らない話をしてください 」

よく ・・・ こういうことをいわれます。

私を マッサージ師と間違えておられるのではないでしょうか。(笑)


「 ざっくばらんに話しをしてください 」

といわれて ・・・ 「 ドキーン 」です。

私は ざっくばらんに言えないから

一生懸命苦労しているわけで ・・・


それを 一面識もない人がやってきて

ざっくばらんに話してください ・・・ と。


ざっくばらんに話せるぐらいなら ・・・

はじめから苦労せずに ・・・ くだらん本を何冊も書いていますよ。( 笑 )

また テレビに出て

臆面もなく ・・・ くだらんことを もっともらしく話していますよ。( 笑 )



私には ・・・ 苦心惨憺しかできません。

まして

私は ・・・ 講演屋ではありません。







病気になったお陰で

2015-01-12 06:49:19 | 原発震災避難者


大遠足



病気になることは

過去の生き方への警告でもあります。

自然が

「 あなたのこれまでの生き方には問題がありますよ 」

・・・ と教えてくれているのです。


だから そのことによく耳を貸して

生き方や生活を変えていけば

かえって 健康になって長寿が保てたりします。

また 病気になるのではないか

という不安やストレスもなくなっていきます。


それまで長年見えなかった

家族の結束が見えてきた

・・・ と言う患者さんもいっぱいいます。


かって 自分が心地よいと感じていた行為が

家族や 周囲の人たちには

好ましくないことだったのかもしれません。


そういう意味で 私は

「 病気は神様からのすばらしいメッセージ 」

・・・ だとも考えています。


私たちは 毎日懸命に生きているつもりです。

しかし その懸命さが正しいとは限りません。


たとえ その行いが

自分の所属する社会や会社の中では正しくても

人間を生かしてくれている自然や宇宙の法則には

・・・ 合致していない場合もあるのです。


このようにして考えてみると

難病だって 失恋だって 倒産だって

その人が 新しく生まれ変わるために

神様が与えてくれた貴重なチャンスなのではないでしょうか。


病気ばかりでなく このような不幸に直面すると

今まで見えなかった

「 本当の自分の姿 」 「 あり方 」

 が ・・・ かえって見えてきます。


そして そのことが

何よりも大切な気づきになるのです。