時事解説「ディストピア」

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冷戦史観(西側中心史観)の克服を

2015-06-24 00:12:40 | 文学
ロシア・中国文学(ノンフィクションも含む)が顕著だが、
外国文学の翻訳書は、基本的に西側の価値観に沿う作品が選ばれる。


また、文学の評価もまた、冷戦史観、すなわち、
アメリカも非道いことをした、ソ連も非道いことをしたという
二項対立を基軸とする単純化された歴史観に基づいてなされている。



社会主義国では自由が抑圧され、芸術は開花されない。決まり文句である。
では、実際にはどうなのか?「独裁国家」イランを例に見てみよう。


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それではここで、
セイエド・モルテザー・アーヴィニーについてご紹介することにいたしましょう。



彼は、1947年に生まれ、幼少時代から芸術に親しみ、
詩を吟じたり物語や論説を執筆したり、絵画に没頭したりしていました。



大学では建築学を専攻しましたが、
彼は次第に文学や神秘主義哲学にも関心を持つようになります。


アーヴィニーは、イスラム革命後の数年間に人生の転機を迎え、
人生観や価値観が根本的に変化したことから、評論家、作家、革命芸術家に転身しました。
彼は、この時期について次のように述べています。





「私は、知識があるふりをすることが決して、
 聡明であることの代わりにはならず、しかも聡明さは
 哲学を学んでも得られないことを熟知している。

 我々は、真理を探究すべきである。これは全ての人々が本当に求めており、
 また見出すであろうものであり、しかも、身近に見つけられる」




アーヴィニーは、この真理を探究しようという動機をもって、
テレビ用のドキュメンタリーの制作を手がけるようになりました。



彼は、イラン北東部のトルクメンサラー地方、南西部フーゼスターン州、
そして郡部に住む貧しい人々の生活を題材としたテレビの番組を制作しており、
それらはいずれももドキュメンタリー制作の分野において注目に値する作品とされています。




また、イラン・イラク戦争の勃発とイラクの旧バース党政権軍のイラン攻撃は、
彼の人生の中で重要な時期とされています。



彼は、撮影班の一団と共に前線に赴き、
「勝利の伝承」という連続テレビドラマの制作の基盤を作りました。



このドキュメンタリーは、戦争中の数年間から戦後も継続され、
イランにおける聖なる防衛に関する芸術作品の中で最も成功を収めた作品の1つとなりました。


(中略)

彼は1993年4月10日、イラン南西部のある地域で、
ドキュメンタリー映画「空の中の町」のロケーションを監督していた際、
イラン・イラク戦争時代から残存していた地雷の爆発により死亡しました。



この栄えある芸術家の殉教後、イスラム宣伝機関の芸術家や作家、
詩人による、イランイスラム革命最高指導者への提案により、
この日はイスラム革命芸術の日に制定されています。

http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-
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しばしば東側の国では、『抵抗の文学』という言葉が使われる。


これは、大きな意味では西側諸国に対する抵抗であるが、
より小さな意味では、戦争を描く文学として通用している。



アメリカの支援によってイラクがイランを侵攻したように、
いわゆる「独裁国家」の戦争は、「平和国家」によって仕掛けられたものが多い。



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現代のイランの物語文学には、イランイラク戦争を題材にした作品が存在しますが、
作家の多くは、実際に戦争を間近に目撃し、その舞台に居合わせた人々です。


イラン人の作家が、サッダーム・フセイン率いるイラク軍の侵略に対抗する、
イラン人の聖なる防衛を書き綴ることに努めた結果、数十もの長編小説や
数百もの短編小説が生まれました。


また、小説に加えて、近年では戦争体験の回想記も数多く出版されています。


戦いの最前線や、戦争の巻き込まれた町、兵隊らのキャンプや
捕虜収容所での出来事が書き綴られたことから、イラン・イラク戦争を
題材とした「聖なる防衛」という独立した文学のジャンルが生まれました。


これらの作品の一部では、戦争という出来事が非常に詳細、
かつ正確に述べられており、その中から大傑作が生まれることとなりました。

http://japanese.irib.ir/2011-02-19-09-52-07/%E3%82%A4
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ソ連のスターリン政権期にも、
当時、彼らが体験した内戦や大戦、国内問題を強く意識した文学が登場した。


特に、戦後の冷戦下での諸外国の商業主義や封じ込め政策を批判する作品は、
当時の西側諸国が本国、植民地で展開された共産党狩り(と言う名の民衆弾圧)を思えば、
なかなか考えさせられるものがある。文字通り、抵抗の文学になっているのである。


もちろん、これらの文学は基本的に自国の政府批判はあまり書かれないが、
だからといって、植民地主義を続行させる欧米列強への批判が無価値になるわけではない。



非常に思い切った発言だが、どうも東側(共産か否かを問わず、
アフリカ・南米・東ヨーロッパ、アジアなどの非西欧型社会)の文学を
評価しない連中は、彼らが批判している西側の独善を無視している嫌いがある。



政府よりだから、政治的だからというそれだけで、
彼らが一体何に対して批判をしているのかについて目を向けようとしない。



冒頭で私は冷戦史観を「どっちもどっち」の見方だと書いたが、
よりつぶさに見ていけば、「どっちもどっち」と言いながら、
その実、西側の犯罪は極力軽減して叙述していることに気がつく。


例えば、ロシアや中国、東欧の国家犯罪は指摘されても、
イギリスやフランス、スペイン、ベルギーが同時代に起こした
戦争犯罪、国内・海外への弾圧に関しては、同等のページが割かれてはいない。



文学もまたしかりで、例えば、アガサ・クリスティの推理小説では、
アフガニスタン侵略戦争に従事した軍人が好漢として描かれており、しかも、
この戦争がイギリスがアフガンを侵攻したという肝心な点が書かれていないのだが、
この点について、批判的な意見を大物の歴史家や文学者が寄せたという話を
私は聞いたことが無い(彼らの基準では間違いなくプロパガンダ文学になるのだが)。


アメリカも悪い、ソ連も悪い、どっちも悪いと言いながら、
実は、自分たちが行っている植民地主義への反省はほぼない。


これらに対して、本格的に異議を唱えたのが
亡命パレスチナ人のエドワード・サイード、ケニア作家のジオンゴ、
フランス領東インド諸島出身のフランツ・ファノンなどであった。


彼らの批判が本当に受け入れられているのかを考えると非常に怪しく思える。

この西側中心史観を抜けて(昔流に言えば脱構築)、
新たに作品を読み直していかなければならない……と思う。
(もちろん、すでに多くの文学者が着手しているはずだとは思うが)


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